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【日記】称えられるべきは誰か?

登山をしてみたいという、60代半ばの取引先の社長と、同じ年の友人と3人で栗駒山に登ってきた。
初心者にも優しく、絶景を楽しめる山といえば、この辺りだと栗駒山か安達太良山だと思う。

栗駒山の中央コースは、厳しい急登もなく、片道約3キロ、登る標高は500mほど。
コースタイムは2時間。
社長はボクより10歳も上で、やや肥満体型で運動不足。
それでもゆっくりゆっくり登っていく。
途中で休みつつ、再び立ち上がり、荒い息を吐きながら、少しずつ頂上に近づいていく。

もうすぐ頂上

そして2時間20分で登頂。
少々風が強かったけど、さっきまで頂上を覆っていたガスは晴れて青空。
昼食を食べて、あとは下山するだけ。

ところが、初心者には下山が厳しい。
すっかり忘れてた。
登りは心肺機能がキツいけど、下りは股関節から腿の筋肉、膝、ふくらはぎなど、足全体に負荷がかかり、30分もしないうちに社長の足がプルプルし始める。
いわゆる「笑っている」状態。
じっくりと休みながら、やっと下山してみると、登りより20分遅い2時間40分の所要時間だった。  
友人もほとんど初の登山だったけど、さすがにまだ50代。膝が痛いと言いながらも余裕があった。

下山途中、社長は何度も、迷惑かけて申し訳ないと謝ったけど、ボクはその度に気にしないでゆっくり歩きましょうと声をかけた。
こういう時、ボクはいつもあることを思い出す。

今、全国に薬物依存症者の自助施設であるダルクが、薬物依存症者のスタッフたちによって運営されている。
仙台ダルクの施設長Tさんは友人で、自身も15年覚醒剤を使い続け、ダルクで薬物を使わない生活をし続けて30年くらいになる。
もちろん、服役もした。
「薬物を使わない生活をし続けて」という表現をしたのは、彼らが、依存症には完治はなく、一日一日、薬物を使わない生活を続けるだけという考え方から。
Tさんが薬物を絶ってから15年が過ぎた頃、ボクはそれを「すごいね」と称えたが、Tさんは、
「この仙台ダルクですごいのは、俺じゃなくて、入ったばかりの彼らなんだよ」
と、新しい入所者たちを指差した。
つまり、何年も薬物を絶つ生活を続けられているということは、苦しさからだいぶ解放されているということ。
しかし、入ったばかりの彼らは、まさに今、その苦しみと戦っているところだ。
薬物だけではない。
ダルクでの生活に慣れ、ミーティングで自らの正直な気持ちを吐き出すこと。それだけでも簡単ではない。
その生活の中で、仲間の助けを借りなければ薬物をやめられないと、プライドを捨て、自分の無力を認められるようになって、やっとそこがスタートラインなのだ。
そうやって頑張る彼らこそ称えられるべきというのが、ダルクの考え方だ。
それは、スタッフも皆、その苦しみを味わってきたから言えるのだろう。

この考え方は、あらゆる場所に当てはめられる。
例えば、会社の新入社員。
彼らは仕事を覚えるだけでも大変なのに、新しい生活に慣れ、人間関係も作っていかなければならない。
すでにその生活に慣れ、仕事も覚えたベテランの数倍、努力を強いられているはず。
多くの場合、それをベテランたちは忘れてしまっている。自分たちも大変な思いをしてきたのに。

だから、今、努力をしなければならない人たちこそ称えられるべきなのだ。
もちろん、努力せず要領良く切り抜けようなんて考えの人は論外。

この考え方を基にすると、今日、一番称えられるべきは、ヘロヘロになっていた社長なのだ。
ボクにとってはハッキリ言って散歩程度の運動量。
でもそんなことは関係ない。もちろん、そうなるまでには努力ををしてきたので、それを称える気持ちは分かる。
でもやっぱり、レベルは関係なく、今一番頑張っている人を、ボクは称えたい。

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