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【エッセイ】友達なのか?仲間なのか?
(1465文字)
「山友」という言葉にずっと違和感を持っていた。
これは山に限らず、○○友と、同じ目的を持って一緒に行動する人たちを指す言葉だと思う。
でもそれって、友達なのかな?と思うわけですよね。
昨晩、録画しておいたドラマ「東京サラダボウル」を観た。
在日外国人に関する事件を担当する、若い女性刑事鴻田(奈緒)と通訳の有木野(松田龍平)を中心とした話。
今回は福祉施設で働くベトナム人男性ティエンに起こる事件。
利用者のタブレットを盗んだ疑いで警察に捕まる。
それを調べる鴻田は、外国人技能実習生の世話をする人に、ティエンが職場で「友達ができた」と言っていたと聞く。
それでふと思ったんですよね。
職場で友達ができる。それはつまり、職場で一緒に働く人たちは友達ではないということ。
当たり前かもしれないけど、職場の仲間とか、仕事仲間という言葉はあるけど、職場友達とは言わない。
つまり「仲間」と「友達」は大きな違いがある。
ネットのWeblio辞書で調べてみると、それぞれこう書かれていた。
【仲間】
1 一緒に物事をする間柄。また、その人。「趣味を同じにする—に加わる」「飲み—」
2 地位・職業などの同じ人々。「文士の—」
3 同じ種類のもの。同類。「オオカミは犬の—だ」
4 近世、商工業者の同業組合。官許を得たものを株仲間といった。
【友達】
互いに心を許し合って、対等に交わっている人。
一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友(ほうゆう)。友。
「—になる」「遊び—」「飲み—」
これで合点がいった。
つまり「山友」は友達ではなく、正しくは「山仲間」なのだ。
登山という同じ目的を持って、安全のためというような理由の元で一緒に登る。それは友達でなくても良い。
仲間というのは、学校や会社、趣味などのコミュニティなど、同じ環境にいる相手であって、仲間になるには時間は要らない。
友達になるには時間がかかるが、友達になってしまえば、それはかけがえのない存在となる。
ボクは友達と登りたいのだ。
すぐに友達になれるわけでもないが、友達になりたいと思う人と登りたいのだ。
一緒に山に登ればすぐに友達になれる、なんて言う人もいるけど、それは残念ながら幻想だ。単なる仲間を友達と思っているに過ぎない。そういうすれ違いで仲違いをした人たちを何人も見ている。
そしてその仲間も、山の場合、多分に利用し合う便利な関係である場合が多い。
山はひとりだと危険だからという理由や、一台の車に乗り合わせて行った方が交通費が安く済むという理由もある。
それが悪いと言っているわけではない。
だけどボクは、山でだけの関係ではなく、他のことも一緒に楽しんだり、ご飯を食べに行ったり、何か困ったことがあれば相談に乗ったりできる、したいと思える相手、つまり友達と登りたい。
登山を始めてから、このSNS時代のおかげか、知り合いがかなり増えた。
そしてたくさんの人たちと登った。
しかし、最近はボクが登りたいと思う人と声を掛け合って登っている。
その数は少ない。
当たり前だけど、そういう人がそんなに多いわけはないのだ。
余談だけど、「友達百人できるかな」という歌があったけど、百人全員友達なわけはない。ボクの基準ではね。
数は少なくて良い。
そういう人たちと登れれば、本当に楽しいし、ストレスもない。
便利だからと、多少気に入らない人と登る必要なんてないとボクは思う。
考えてみると、多少気に入らない人でも一緒に何かをしなければならないのが会社だったりするよね。
だからボクは会社勤めができなかったんだろうなぁ。