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【エッセイ】笑いのツボ

(1058文字)

一カ月くらい前のこと。
友達と4人でバックカントリースキーを楽しみ、下山して美味しいと評判のラーメン屋に寄った。
出てきたのは昔ながらの中華そば。
やっぱりこの歳になると、こういうシンプルな中華そばが良いんだよね。
スープもシンプルだけどちゃんとコクがあって美味い。
そんなことを話しながら食べていると、唯一の女性がこう言った。
「うん、あったかくて美味しい」
真顔でそう言うのがおかしくて、ボクは思わず、
「なんにもラーメンの情報が入ってないよ!」
と突っ込んで笑った。その女性のちょっととぼけた感じも可愛くて、ボクはすっかりツボに入ってしまい笑い続けてしまったんだけど、残りの3人はややウケ程度。
「あれ?面白くない?だって温かいラーメンを食べてるんだから、温かいのはあたりまえじゃん」
などと話したんだけど、みんな愛想笑い程度。
おかしいなぁと思っていたので、先日、久しぶりに会った娘と嫁さんにその話をしたら大ウケ。
そうか、笑いのツボが違うのかなーと思った。

笑いのツボというのは、地域性もあるでしょうね。関東と関西では違う感じがする。
落語は分かりやすく違うなぁ。
もっと細かい地域性もあるかも。
そして、その家にはその家の笑いがある。
一緒に暮らしていると、だんだんと一緒になっていくと思う。ならないと一緒に暮らすのがキツいなぁ、ボクは。

我が家の場合は、だいたい同じだけど、特にボクと娘は同じかも。
2人とも、
「当たり前にしてるけど、それっておかしくない?」
というようなところで笑ったりする。
そこから、こうだったりして、とか、それからこうなって、なんて話しているうちに、実はあの人は見えない敵から地球を守っているとかなんとか、話が出来上がったりする。
もしかしたら、コントとか、何かお笑いネタの作り方に近いのかも。
多分、お笑い芸人さんたちも、日常の何気ないところこら笑いのタネを拾ってきて、育てて膨らませてネタにしてるんじゃないかと思う。
そう考えると、我が家の笑いは創造的笑いか?(笑)

そもそも、好きになるきっかけのひとつに、笑いのツボが同じって大事かも。
お互いの話で笑えないんじゃ会話も弾まないし。
その前に、相手を笑わせたいと思う気持ちは、大きい意味で愛かもね。
お互い、相手を笑わせよう、楽しませようと思っていない状態での暮らしって、ボクにはイメージできない。
我が家の場合はボクが一方的に笑わせる方かな。で、嫁さんは結構厳しい批評家。
そう考えると鍛えられてきたのかもな。

トップの写真は壺で検索してお借りしたんですが、なんでしょうね?
謎な写真。

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