【映画】漫才協会THE MOVIE 舞台の上の懲りない面々
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映画制作中にナイツのラジオで知って、観たいと思っていたけど、仙台では公開から20日くらい遅れて上映開始。仕事の合間にようやく観に行けた。
ナイツのラジオでの話を聞いていると評判が良いようで、本当かなぁと半信半疑だったけど、本当でしたね。
内容は漫才協会に所属する芸人数組をクローズアップしながら、芸人たちがなぜ教会に所属するようになったのかなどのコメントから、漫才協会を浮き彫りにしたり、芸人たちの舞台への想いを伝えるというもの。
夫婦漫才で人気を博すものの離婚して解散し、電車との接触事故で右腕を轢断したために、その後に組んだ相方とも解散せざるを得なかった大空遊平さん。
リハビリを重ねてようやく果たせた舞台復帰の笑顔には、ちょっと込み上げるものがありましたね。
全体的に、泣かせようという演出はないにの、どこか泣ける。
エンドロールで協会員たちの舞台の様子が、ひと組ごとに数秒ずつ流れていくんだけど、なんというか、グッときました。客席からも鼻を啜る音が聞こえてきた。おそらく、その方々は泣いていたのだろうな。
滑稽であったり、その多くが裕福とは言えない芸人たちの素顔を見ながら、どこか格好良さも感じていた。特に歳を取った師匠たちに。
芸人になるということは、ボクが若い頃でも親に強く反対される道だった。
安定した収入を得る道を捨て、いわばギャンブルに人生を賭けるということで、売れなければ野垂れ死にというようなニュアンスで言われていた。
ミュージシャンになりたいと思いつつも、その道を諦めたボクとしては、自分が好きな道で死ぬまで舞台に上がり続ける師匠たちに、尊敬の念を感じずにはいられない。
一時期売れたことがある芸人さんでも、今は寄席に出ているだけなら裕福な暮らしではないはず。
前述の大空遊平さんも、舞台でお客さんを笑わせた後に帰るのは、狭い団地の一室。もちろん団地が悪いというわけではなくて、夢見たであろう華やかな暮らしとはならなかった。
それでも、お客さんの笑顔が嬉しいと、心の底から嬉しそうな笑顔を見せ、大怪我をすれば心配してくれて、復帰を喜んでもらえる芸人仲間たちがいる。
離婚や怪我など、一般的には辛いことや不幸なことはあったとしても、好きなことをして生きてきて、時には喧嘩したりしながらも喜び合える仲間たちがいる。
それは幸せな人生なのではないかと感じた。
こうした芸人さんたちには、辛いことがあっても好きな道で生きて、舞台ではお客さんを笑わせるという、笑いの裏に隠れた哀愁を感じる。
この映画がなぜかじわりと泣けてしまうのは、芸人さんはもちろん、東洋館という場所にも、その哀愁が染み付いていて、じわりとじわりと伝わってくるからだ。
それは、良くも悪くもテレビで売れている芸人さんたちからは感じないところ。
もちろん、それで良い。
今や芸人が社会的にもそれなりの地位を得ていると思うし、そうした芸人さんたちの多くが食べていく道が増えたというのは、人がそれぞれ好きな道を生きていくという観点から良いことだと思う。
だけどなぜか、今でも哀愁を背負う芸人さんたちを見ると、ボクはなぜか嬉しくなってしまうのだ。
東洋館のあるビルの1階にある浅草演芸ホールには何度も足を運んでいるけど、東洋館に入ったことはなかった。
少し前まで、貼り出された顔ぶれを見ると、知っている芸人さんが少なかったもんな。青空球児・好児、おぼん・こぼん、昭和のいる・こいる、それに内海桂子。
でも今、その状況を変えようとして、漫才協会がナイツを中心として改革を行っているのはすごいことだと思う。
昔の師弟制度はほとんどなくなり、テレビで売れた芸人たちもスカウトされて漫才協会に入って東洋館の舞台に立っている。
浅草から漫才を盛り上げていこうという気概を感じる。
それでも高齢になった師匠たちが健在なのも嬉しい。
ボクが好きな協会員のコンビに、東京太・ゆめ子の夫婦漫才がいる。
何度も落語の寄席に色物で出ていた時に見た。
面白いんですよねぇ。
詳しく話すと長くなるので、興味がある方はこちらを。
この映画のパート2を作るなら、ぜひクローズアップして欲しいなぁ。
早く作って欲しいね。早く作らないと死んじゃうから。
母ちゃん、もう帰ろうよ。
またこの台詞を聞きに浅草に行きたいな。