【日記】故郷を感じるまでに多くの時間を費やした
週末は実家に帰っていた。
関東平野のはずれにある街で24歳まで暮らした。
近所のスーパーに買い物に行き、屋上駐車場に登ると、燃えるような夕焼けをバックに、富士山が影になって鎮座していた。
12月25日の夕刻、スーパーのお惣菜コーナーに所狭しと並んだ鶏肉のローストは値下げのシールが貼られている。
その隣にはおせち料理に使う伊達巻や栗きんとん、紅白の蒲鉾が並んでいる。
古いスーパーの雑然としたレジには行列ができているが、並んでいる人たちからはあまり苛立ちを感じない。
年末の日曜のこの時間なら、この混雑も仕方ないと諦めているのだろうか。
母に頼まれたちょっとした買い物を済ませて屋上の駐車場へ階段で向かう。
18歳になる娘は、エレベーターは使わないのかと文句を言うこともなく、最近の出来事を話しながら着いてくる。
階段を登りながら、店内BGMの聞き覚えがあるゆったりとしたキーボードの音に耳を澄ませる。
ブルース・スプリングスティーンの「マイ・ホームタウン」。
懐かしい。
1985年のアルバム「Born in the U.S.A」に収められていた曲で、シングルカットもされたはずだ。
確か、こういう内容の歌詞だったと思う。
中年男が昔を懐かしむ。
子供の頃、10セントコインを握りしめて、父親のために新聞を買いに行った。
その父親のひざの上に座り、古いビュイックで街をドライブした。
父親は息子の頭を撫でながら言う。
よく見ておけ、ここがお前のホームタウンだ。
黒人解放運動の時代、男の高校でも黒人と白人の間で揉め事が絶えなかった。
車のバックシートに積んだショットガンが火を吹いたこともあった。
今、ホームタウンは空き店舗が並んでいる。
閉鎖された工場も打ち捨てられている。
この街にもう仕事はない。
男はベッドで横になりながら妻に相談する。
荷物をまとめてこの街を出て行こうかと。
そして子供を車に乗せて彼は言う。
よく見ておけ、ここがお前のホームタウンだ。
屋上駐車場に上がると、空っ風が一瞬強く頬を叩いた。
ボクは東京のベッドタウンであるこの街に、故郷という愛着を感じたことはなかった。
いわゆる日本の故郷というイメージはない。
スーパーの前の道路は渋滞していて、その間を動物の鳴き声のようなブレーキ音を響かせながら自転車がすり抜けていく。
遠くのバイパスから大型トラックの唸るようなエンジン音が響いてくる。
見渡す限りの住宅に明かりが灯っている。
ひとりひとりがあまり余裕もなくそれぞれの生活をこなしているだろう。
富士山の向こうの夕焼けがまだ赤い。
娘にもこの夕焼けの赤さを覚えておいて欲しいと思う。
やっぱり、ここはボクの故郷なのだ。
それを感じるまでに随分長い時間がかかったな。