【日記】文字が呼ぶ映像
小説を書いていると、キャラクターが頭の中で動き出すことがある。
そうなると、書くのが楽になる。勝手に動いてくれるので、考えて書くというより、描写する感覚になる。
さらにそのキャラクターが役者さんになることがある。
例えば、連作短編の「週末はいつも山小屋にいます」に出てくる、登山用品店ビヴァークのマスター。あのキャラクターは完全に光石研。
森の中の結婚式で、最初に外国人神父のカタコトの日本語を真似てみたり、最後に森に向かって有希の亡くなった父親に語りかけたりというのは、光石研が勝手にやった感じすらある。
先日書いた短編「はざまの街で」に出てくる来栖というキャラクターは田中哲司。ラストシーンの3人の会話は、田中哲司が勝手に回してくれた。
それが良いのか悪いのか分からないけど、書いていて楽しい瞬間でもある。
誰かの小説を読んでいるときにもそういう感覚はある。だから、映画化されたときなどに、その人じゃないだろうなんてこともある。
著名人のエッセイではそういうことはない。その人を知っているから当たり前だけど。
しかし、noterのエッセイでは、その人を知らないから、勝手に当てはめて読んでいることがある。
そういう読み方でハマっているのがタマミさんのエッセイ。
タマミさんは宝くじの販売のお仕事をされていて、その日常を綴っているのだけど、普通の小売業じゃありえないようなことが起こる。
宝くじ売り場の前には、様々な形の欲望が渦巻いている。そりゃそうだよね、みんなお金が欲しいわけだから。
それでいて、競馬などの公営ギャンブルより日常的という、考えてみると特殊な空間。
その1畳ほどの売店の中で、個性豊かなお客さんたちに翻弄されたり、観察したりするタマミさんの姿が面白い。
しかもその情景が浮かんでくる文章なので、タマミさんのエッセイはいつも映像で見ている感覚になる。
それじゃ、タマミさん役は誰かというと、ボクの中では芳根京子。
芳根京子はコメディエンヌとしてかなり才能があると思う。なんというか、素でやっているようにすら見える。透けないというか。
以前、「チャンネルはそのまま」というドラマの主演をしていたけど、あれはホントにはまり役だったと思う。
この話なんかはもう、芳根京子意外あり得ない。
さらに、ここに出てくる強面男性は遠藤憲一ですね、エンケンさん。
あ、最初にタマミさんにパンパンと手を叩いてくるアラフォー女性は野呂佳代なんていいかも。
さあ、みなさん、その配役で読んでみてください。きっと頭の中で映像が動き出すはず。
この話のおばあさんは草村礼子ですね。
みなさん、名前は知らなくても顔を見たら分かるはず。
この話はちょっと切ない。そんな話も芳根京子はハマる。
これを読んでいる人の中で、テレビ関係者はいないですかね?
タマミさんの話はドラマ化できると思うんだけどなぁ。
もちろん主演は芳根京子で。
宝くじ売り場がこんなに面白いとは思わなかった。
考えてみると、作家が書く話は、あくまでも取材をして書き上げるわけだけど、noterが自分で書く仕事の話の方がリアリティで勝るはず。
そう考えると、noteの中にはたくさんのドラマの種がありそう。
ボクの中ではこのタマミさんのエッセイが、今一番ドラマ化して欲しい原作なんだけど、この気持ち、ドラマ関係者に届け〜〜。
※写真はボクの近所の宝くじ売り場。今日もここで欲望が渦巻いているのかと思うと、ドラマを感じる。