【音楽】マッスル・ショールズという奇跡の町
(3217文字)
noteの街の住民、ハミングバードさんに続いてぷるるさんも、映画「ブルースブラザース」について熱く語ってくれた。
それならボクも語らずにはいられないじゃないか!
とはいえ、ブルースブラザースについてはお二人には敵わないなぁ(笑)
ということで、ブルースブラザースに出演していたスティーブ・クロッパー&ドナルド・ダック・ダンが所属していた、ブッカT&MGsのSTAXレーベルについてかなとも思ったんだけど、当時のアメリカ南部なら、もちろんSTAXも好きだけど、ボクはやっぱりマッスル・ショールズなんだよな。
マッスル・ショールズはアラバマ州にある小さな街。
当時の人口は8,000人ほど。人口を言われてもピンと来ませんよね。
今だと山形県の最上町とだいたい一緒。余計わからない?
茨城県五霞町、奈良県川西町、岐阜県坂祝町、宮城県大郷町、新潟県湯沢町、大阪府田尻町、まぁ、そんな感じ。
とにかく、この小さな町から80枚以上のゴールドディスクが生まれた。
ここに、リック・ホールという白人の男が、フェイム・スタジオというレコーディング・スタジオを設立したところから物語が始まる。
本当は2014年に公開されたドキュメンタリー「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」を観て貰えば良いんだけど、今はAmazonプライムでも配信されていないので、ざっと紹介してみる。
ちなみに予告編がこちら。
最初のヒット曲は1961年、アーサー・アレキサンダーの「You better move on」。これはローリング・ストーンズもカバーしてますね。
初期のヒット曲で有名なのは、やっぱりパーシー・スレッジの「When a man loves a woman」でしょうね。
この頃、ジミー・ヒューズが何曲かヒット曲を飛ばし、フェイム・スタジオは有名になっていく。
なんかすごいスタジオが南部の小さな街にあるらしいぞと話題になり、名だたる黒人ソウル・シンガーがこぞってレコーディングしに来るようになる。
一番有名なのは、やっぱりアレサ・フランクリンでしょうね。
この辺りはアレサ・フランクリンの伝記映画「リスペクト」を観てもらうとわかりやすい。
あと、爆弾娘のエタ・ジェイムスね。
キャンディ・ステイトンはサザン・ソウルの女王。サザン・ソウルというのは、このマッスル・ショールズやお隣のメンフィスで録音された南部のソウルミュージックね。
この曲はもともとカントリーソングのカバーなんだけど、映画「ブルースブラザース」でもカントリーのバージョンで演ってますね。あのビール瓶が飛んでくるシーンね。
あと忘れちゃいけないのがクラレンス・カーターだ。
このPatchesはアラバマの貧しい農場で生まれた男とその父親の物語。これが泣けるのよ。
そしてボクの好きなウィルソン・ピケットね。当時、短い間だけどフェイムスタジオにギタリストとして所属していたデュアン・オールマン(後にオールマン・ブラザーズバンドを結成)の勧めでカバーしたのがこの曲。
カッコ良すぎる(笑)オリジナルのビートルズ・バージョンが思い出せなくなる。
フェイム・スタジオには作曲家兼ミュージシャンも在籍していて、その代表がやっぱりダン・ペンでしょうね。
アレサ・フランクリンのヒット曲「Do right woman, do right man」を作曲した人。
そのダン・ペンも自らのレコードを出していて、こちらはスワンプ・ロックとしてその筋では名盤と言われている。
彼はもともとサックス奏者で、マーキーズというバンドで演奏していたんだけど、そこにいたのがMGsのスティーブ・クロッパーとドナルド・ダック・ダン。つながってますね〜。
そんなこんなですっかりソウルの聖地となったマッスル・ショールズ。
こんな泥臭い音をどんな黒人たちが演奏していたのかと思ったら、なんとメインのスタジオ・ミュージシャンたちは、スーパーの店員のような4人の白人男たち。それが「スワンパーズ」。メンフィスのSTAXでいうところのブッカT&MGsですね。
もともとは地元で演奏していただけの若者たちが、完璧主義のリック・ホールのプロデュースのもと、何度も何度もダメ出しされながら成長していく。
シンガーだけではなく、ホーンセクションなどに黒人ミュージシャンもいたが、このスタジオに黒人と白人の差別やトラブルは全くなかったという。
人種を超えてグルーヴを作り上げていた。
そうしてスワンパーズは数々のヒット曲を支えていくのだけど、次第にリック・ホールのやり方に合わなくなってくる。
そんな時に、
「じゃ、4人で独立しちゃえよ」
とかなんとかそそのかしたのが、プロデューサーのトム・ダウド。そう、大ヒット曲「レイラ」で有名なデレク・アンド・ドミノスなどをプロデュースした人。
そんなわけでスワンパーズは独立し、彼らのスタジオ「マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ」を設立する。それが1969年のこと。
そしてこの頃には、60年代のR&Bを敬愛して育ってきたロックミュージシャンたちもこの小さな街を目指すようになる。
あのローリング・ストーンズのBrown sugarもここで録音された。
他にも、ボズ・スキャッグス、ロッド・スチュワート、ボブ・ディラン、ジミー・クリフなどなど。
しかし、スワンパーズに独立されたリック・ホールも黙っちゃいない。それならばということで、腕利きのミュージシャンたちを集め、ハウス・バンドとしてフェイム・ギャングを結成。彼ら自身の曲も残っているんだけど、これがまたカッコいいのよ。
そんなわけで、駆け足で紹介してきたけど、実はボクが紹介したいのは、この二つのスタジオで録音された白人ミュージシャンたちの作品。
アメリカ南部は黒人音楽はもちろん、白人のカントリーも盛んで、さらに教会ではゴスペルが歌われているという土地。
そこで育った白人たちが、このスタジオで自らのルーツをごちゃ混ぜにして練り上げたような、彼らならではの泥臭い音楽を作り上げていくわけですよ。それがスワンプ・ロック。
スワンプは沼とか湿地帯という意味で、アメリカ南部の土の匂いというか、泥臭さを感じさせることが由来。
これがもう、本当に独特なんですよね。そして多くのミュージシャンがスワンプに魅せられていく。代表的なのがエリック・クラプトンね。
そういうわけでスワンプ・ロックを何曲か。
まずはやっぱりこの人、ドン・ニックス先生。
これはもう、スワンプの名盤中の名盤ですね。
レオン・ラッセルが盟友で、スワンプといえばまずはこの人なんだよな。
後にジェフ・ベックのベック・ボガード&アピスに楽曲提供とプロデュースをしている。
そしてやっぱりデラニー&ボニーご夫妻。
彼らの元にはデュアン・オールマン、ボビー。ウィットロックなどのミュージシャンが集まっていて、そこにエリック・クラプトンが参加したことがきっかけでデレク・アンド・ドミノスが結成される。
そういう意味でも、ロックの歴史に重要なデュオですね。
それにマーク・ベノ。
どうよ、このレイドバックしまくった曲は。
彼はsong for youで有名なレオン・ラッセルとアサイラム・クワイアというユニットをやっていた人ですね。
他に挙げればキリがないんだけど、最後にベン・アトキンスを。
この曲はもう、カントリー、R&B、ゴスペルの要素がごちゃ混ぜになっているのがよく分かりますよね。
とにかくマッスル・ショールズは奇跡の町と言えるでしょうね。
今はもう、観光地にすらなっている。そのうち行ってみたいなぁ。
あ、大事な曲を忘れてた。
アラバマといえばやっぱりこの曲、レナード・スキャナードの「Sweet home alabama」。
愛しい故郷、アラバマと歌うこの曲の歌詞の一文がこちら。
あ、マッスル・ショールズといえばこの曲もだった。
ダメだ、キリがない(笑)