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東京から群馬へ。僕たち家族が移住を決めた理由

「東京での暮らしは暗中模索だった」
これが、僕が移住を考え始めた頃の正直な気持ちです。


東京での暮らし

子どもが生まれたばかりの頃、僕たち家族は西荻窪の駅近くの狭いアパートに住んでいました。徒歩3歩でトイレもお風呂も寝室も行けるような、小さなスペース。妻と娘、3人での生活でした。

仕事は丸の内で新規事業支援をする会社に勤めていましたが、長時間労働が多く、育児の負担はほとんど妻にかかっていました。休日には西荻窪や吉祥寺を散歩したり、近所の公園に行ったりしていましたが、家族だけの閉じた世界で、それが当たり前だと思っていました。でも今振り返ると、狭い世界に生きていたなと感じます。

そんな生活の中で、夫婦ともに唯一の楽しみだったのが「キャンプ」。自然の中に身を置くことで、都会のストレスから解放される時間でした。そして気づけば、いつしか「自然の中で暮らしたい」という思いが強くなっていました。

西荻窪で公園散歩

移住を考え始めたきっかけ

移住を現実的に考え始めた僕たちは、いくつかの条件をリストアップしました。

  • 自然災害が少ない土地

  • 自然豊かで子どもをのびのび育てられる環境

  • 健やかに過ごせる保育園があること

  • 東京に2時間以内でアクセスできること

  • 価値観が合い、つながりを感じられるコミュニティがあること

最初に候補地から外れたのは千葉、静岡、神奈川などの地域でした。台風や津波などのリスクが大きかったからです。一時は鎌倉も検討しましたが、物価や地価が高いこと、観光地特有の混雑がネックとなり断念しました。

次に候補に上がったのは山梨。果物が安く手に入るし、富士山も見える魅力的な地域。でも最終的に僕たちが選んだのは「群馬県藤岡市鬼石」でした。

藤岡市鬼石の朝の風景。ここを毎朝、仲間と歩く日々。

運営している民泊施設。湖畔沿いの絶景宿。

鬼石との出会いと幼少期の記憶

群馬には友人が地域おこし協力隊として活動しており、そのお手伝いで5年前から鬼石に通っていました。友人が主催する「鬼ROCK」というロックフェスでは、チラシ制作や動画制作を手伝う中で、地域の人たちとつながる機会が増え、自然と「ここに住みたい」という思いが芽生えていきました。

でも、群馬への親しみは実はもっと昔からありました。
僕の祖父母の家は、鬼石からさらに山奥に進んだ上野村にあります。子どもの頃、夏休みには家の目の前を流れる神流川で妹とボートに乗ったり、川魚を釣ったりして遊んでいました。当時は、それがどれほど貴重な自然環境なのか気づいていませんでしたが、大人になって振り返ると、あれほど清らかな川で遊べる環境は現代ではあまり無く、その記憶が、「自然に帰りたい」という気持ちを呼び覚ましたのだと思います。


理想の家との出会い

候補地が鬼石に決まった後、家探しを始めました。不動産会社に相談しても、希望に合う物件はほとんどなく、潤くん(友人)に紹介してもらった平屋を候補にしていました。

でも、理想の物件に出会ったのは、鬼ROCKのつながりでした。その家は、映画『人生フルーツ』を観て憧れたような場所でした。ジブリ風の三角屋根、12種類の果樹が植えられた庭、薪ストーブ付き。そして高台にあるため、鬼石の町を一望できる絶好のロケーション。庭で採れた果物やハーブを料理に使い、家族や友人とシェアする。そんな自給自足に近い暮らしが、この家なら叶えられると思いました。

購入した時の状態。塗装は剥がれ、中もボロボロ。でもポテンシャルを感じた!
現在の状態。屋根と壁を塗装して新居みたいに。

つながりが移住の決め手に

この理想の家を見つけられたのは、不動産屋ではなく、地元のイベントやボランティアに積極的に参加し、地域の方とのつながりを築いてきたからこそだと思います。このつながりがあったからこそ、理想の暮らしへの一歩を踏み出せたのだと思っています。

家の完成パーティーの様子
保育園のママ友、パパ友と、子どもたちとみんなで味噌づくり

移住が教えてくれたこと

交渉が難航し、不安もありましたが、最終的にこの理想の家に移り住むことができました。移住は単なる引っ越しではなく、「自分たちの暮らしをどう作っていくか」を考える旅そのものでした。

薪ストーブの温もりや庭の果樹から得られる喜び。そして地域の人たちとのつながり。小さな夢がどんどん叶う中で、大きな夢にも挑戦してみようと思えるようになりました。

子どもとの散歩もこんな感じに。

これから移住を考える人へ

移住を考える際には、立地や環境ももちろん大切ですが、最後の決め手は「人とのつながり」だと思います。移住をきっかけに、自分が本当に望む暮らしを見つける旅に出てみませんか?

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