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悔し涙からの出発
うふふなミカンを始めたきっかけはいくつかあるのだけど、このことはほとんど話したことがない。長いからね笑
とある研究者のひとこと
それは5年ほど前、当時の仕事の関係で初めて学会と呼ばれる場所に出向いたときのこと。生物関係の学会で私は「農薬と生態系」をテーマにした分科会を聴講した。
すでに販売許可を得て一般的に使われている農薬であっても、生態系に深刻な影響を及ぼすものが存在することを、実験や調査によって因果関係をひとつひとつ立証する、気の遠くなるような研究をされている方々の発表。イメージや相関関係に頼らない科学的な議論が続き、敬意を感じながら勉強させていただいた。
そのなかでネオニコチノイド系農薬について日本と海外との比較研究があった。インドアッサム地方と日本で栽培される茶葉について日本のものは圧倒的にネオニコチノイド系農薬の残留量が多いという調査結果だった。
そのことについては事実なので何も思わなかったのだが、発表した方の口調が忘れられない。その調査結果を話しながら
「日本(の農家)は何にも分かってないんですよね~」
と一言。ご本人には何の悪気もなく私以外だれも何とも思っていないと思う。
殺虫剤や殺菌剤、除草剤など農薬を使う危険性に関して農家が不勉強だったり、思考停止になっているという指摘はその通りだと思う。いまだにその状態は変わっていないと感じる。図星だったからムカついた、と言われればそれまで知れない。
誰の問題なのか
でもね、でもさ。
じゃあんたがやってみなさいよ、
と頭の中で声が響く。60代が若手の中山間地。70歳80歳の腰が曲がったおじいちゃんおばあちゃんに手で草刈しろって言える?っていう話なんです。(写真はうちのおばあちゃん。)
農業就業人口はここ20年で半減、わずか180万人で1億2千万人の命を支える(1人で67人分の1年分の食料を生産する)には相当な生産技術と効率化が欠かせない。(日本の単位面積当たりの生産量は世界有数。)
でも野菜や果物は工業製品じゃない。
なのに大量生産・大量消費の仕組みが当てはめられている不自然さ。農家が市場に求められるのは「同じ形」「同じ大きさ」「同じ時期」、しかも「きれいな」野菜や果物。それを大型トラックで運ぶほどまとまった量を生産できて始めて流通システムに乗ることができる。
一方で買った野菜に虫がついていようもんなら、クレームがお店に行きお店は平謝り、その衝撃が仲卸、市場から生産者へ何倍にもなってかえってくる。だから農家は萎縮し、忖度に忖度を重ねて「きれいな」野菜や果物がどうやったら大量に画一的に生産できるかに注力する。
そうすると農薬カレンダー(農事暦ではない)なるものができあがり、害虫や病気を「予防」するために○月は○○○という薬を必ず散布して産地ブランドを守りましょう、的な動きになる。農薬を散布しないリスクは自分だけではなく地域の皆さんにもかかわってくる。もう脅しに近い。
一昔前、商店街に八百屋さんがあったころ。八百屋さんは野菜や果物のプロ。仮にそんなクレームがあったとしても理由も対処法も説明できるし、何よりお客さんとのコミュニケーションのなかで「ごめんねー、これおまけしとくから!」で済んだことだった。
今、一円でも安くしなければ生き残れないスーパーではスタッフ配置も最小限、商品を並べるのに精一杯。商品の勉強、ましてやお客さんともコミュニケーションなんてする暇もない。そんな中で一番人手をとられるクレームはスーパーにとって一番避けたいこと。だからおいしさや安全の前に「きれいでクレームのないもの=良い商品」となり、それを市場に求めることになる。
いったい「誰のために安くしなくてはならないのか。」この想像力がこの研究者(ともあろう人)に欠落していたことが私には悲しかった。私は突き放されたような絶望感を(勝手に)感じ、あまりの悔しさに涙がこぼれる自分にビックリした。
そして氣がついたのだ。これはこの方の個人的な認識の問題ではなくて、一般的な認識であり、世間の現実なのだと。
ごく一般的な話としてスーパーに並ぶ野菜や果物の先に、土や水、大気や生産者の存在をイメージすることは難しい。そして買う人もきっと忙しくて、いちいちそんなことにかまっていられない…。被害者妄想でだれかを責めて解決することではなく、もう少しスケールを広げた仕組みの話だということに思い至ったわけである。
この頃うふふなミカンを始めるなんて夢にも思っていなかったけれど、この時感じた悔しさは私を動かすきっかけとなったことは間違いない。この文章を書きながら改めて背中を押されたできごとだったと理解している。
実現したい未来を一緒に創る
私は農薬による環境汚染を切り取って問題にするのは本質的ではないと考えている。大量生産・大量消費という社会システムのなかで、いつの間にか加速した自然から離れた生き方、いのちから離れた暮らし。その便利さには感謝しかないけれど何がなんでも経済効率を優先させることには限界を感じる。
「あなたも自然物ですよ。不自然な生き方、辛くないですか?」
「いのちを守るためにお金を使いませんか?」
作り手の置かれている事情、食べてくれる人の想い。双方とも自然に生かされている仲間として理解しあうことで、これから進むべき道を選択していけると私は確信している。
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