インド歴史文化 現在のアッサム州に残る東南アジア系諸言語の痕跡
タイ系の少数の言語集団が、現在のアッサム州に点在しています。
タイ・カダイ語族(Tai-Kadai languages)と言う言語グループの分類名があります。元々、紀元前2000年頃、中国東南沿岸地域で話されていた言葉です。この言語グループは1000年位かけて西方へ移動、幾つもの言語に分かれて行きます。紀元後10世紀位になると、この系統の言語は中国南部から、一部は現在のタイ王国・ラオス・ベトナム付近に迄、又、一部はビルマ方面に広がりました。これらのタイ系言語は南西タイ語(Southwestern Tai)と呼ばれ、その際、タイのローマ字綴はTaiであり、まだ、Thaiではありません。
13世紀位になりますと、タイ(Tai)語の通用範囲は、ミャンマー・シャン州から北、及び、インド方面に伸びた様です。北西タイ語(Northwestern Tai)と呼ばれています。恐らく、チベットの一部方面にも、伸びて行ったと思われます。20世紀に入りますと、北西へ伸びたタイ語は、少し南部へ後退している様です。
中国南部のタイ語がこの地域に広まる前には、中国雲南、ベトナム、又、ミャンマー、バングラデシュ、そしてインドの多くの地域には、南アジア語族、別名、オーストロアジア語族(Austroasiatic languages)が分布していました。従って、タイ語族が、多くの地域で、南アジア語族の社会を上から覆い被さる様に、発展して行きました。
所が、インドでは、インド・アーリア民族の北方からのインド侵入のため、インド・アーリア系の言葉が強く北インドを覆い被さり、元々のドラヴィダ系の人々は、南インドへ押しやられました。
チベット、ミャンマーに近いアッサムにはタイ語族として、13世紀にはアッサムにタイ系のアーホーム王国(Ahom kingdom)が成立、1226年から1826年迄存在しました。アーホーム朝とも呼ばれます。
インドでは、北インドに、インド・アーリア語族の系統のサンスクリット系の言葉が広まり、前から話されていた南アジア語族、詰まり、オーストロアジア語族が孤立語として存続、或いは、消えていまいました。多くの孤立語は話者数も少なく、絶滅が危惧されています。勿論、アッサムには、タイ系言語も孤立して一部存続しています。
北東インドには、少数民族が、周辺の言語の影響を受け、複雑に混在しています。インド政府は、国民的アイデンティティ確立のため、サンスクリット系のヒンディー語を教育に取り入れ様としていますが、アッサム以東の人々は、中央政府に対する独立心も強い様です。これらの地域では、お互いの方言が余りに多様であるため、英語の方が通用する場面が多い様に見受けられます。
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