伝統工芸の専門家といっても分からないことは分からないもので
伝統工芸系といっても、分野が違うと「全然分からない」ということは多いものです。
当然私も工芸系の他分野のことの詳細は分かりません。例えば漆を例にしても、同じ伝統工芸系でも染色とは「全く別」なので、ザックリしか分からず具体的なことは体感的には分かりません。
専門家がつくった漆の蒔絵技法のパネルを見たとして、その解説文の専門用語に、さらに簡単な解説までついていても「そういう方法なんだな」とは思いますが、体感的なイメージまでは出来上がりません。
これは「同業の分野違い」でも同じで
「文様染分野の友禅染というカテゴリ内でも、少し専門がズレると分からない」
のです。
(ここでは友禅染=糸目糊を使って描画した文様染とします)
伝統工芸系はディープな世界なので、同じ分野でもちょっと違うものになると「専門レベルでは分からなくなる」のです。なんだか医療分野みたいですね。
例えば、友禅をやっている人で、博物館の名品を観てどうやって染めているか体感として分かっている人を私は観たことがありません。。。昔は全て天然素材で作られていたわけですから、近代以降の化学染料による友禅染しかやったことが無い人は草木染の文様染のことは分からないからです。(どこかには、江戸時代のような友禅染をやっている人がいるのかも知れませんが)
染色文化の研究者の人だと、知識としては昔の染色の歴史や染色法に詳しい方がいて、私も勉強になってありがたいのですが、制作者の視点ではないので、ちょっとズレがあります。
なので、草木染めの文様染も出来る私が(といっても昔と同じ方法で再現出来るというものではありません。基本的な方法が同じなだけです)博物館のものはこうやって染めているんですよ、と伝統工芸師の認定のある友禅染の作り手さんに説明しても、何がなんだか分からないようなのです。
昔の草木染の時代の友禅染と、化学染料の時代になってからの友禅染では作り方が全く違うので、化学染料の友禅染しか知らない人にとっては私の説明は全く理解不能な場合が多いです。説明しても全然分からないし、私がまるでテキトーなことを言っているような態度をされることすらあります。笑
昔は草木染と顔料による着色が殆どなので、本当に手間がかかり、技術的な制約が大きくありました。
だから、本当にどうにかこうにか、文様染として形にしたわけです。当時の技術やアイデアのあらゆるものを総動員して。
「そこまでして、織の組織の文様ではない、自由な描画の描き文様が欲しかったのか・・・」
と心打たれてしまいます。
素朴で緻密でエレガントで、かつ超絶的なものです。本当に素晴らしい。
草木染だと、染料の液の温度を上げて染めるもの、冷たいままで良いもの、生地を張って刷毛で引いて乾燥させただけで定着するもの・・草木染の染料を発色・定着させる媒染の方法・・沢山の技術があり、それを使い分ける必要があります。
使う染料の特性によって、防染方法(染めたくない部分に色が入らないようにする方法)も変わります。また、草木染でも、桃山時代以前と以降のものでは染め方が違うものがあるそうです。しかし、古代の染め方は失伝しているものが多く、分からないものが多いようです。
そのように、昔の着物の友禅染は、草木染なので色によって染め方が変わり、方法が細分化されていて、着物を制作する際の段取りが大変です。それゆえに文様染技法の併用が必要で、好ましくない部分をごまかす方法もたくさんあるのですが、そういうことは実際にやったことのある人でないと分からないものです。
博物館にある、呉服業界が見本にしているような名品たちは、例えば糸目友禅の着物なら「絞り染+糸目友禅(さらに刺繍)」が多いです。そこに疋田絞りも併用されていたり、描き疋田も併用されていることが多いです。
単一の技法のように観えても、実際には数種類の技法を使い分けていることも多いです。
昔の疋田絞りは、一枚の着物が全て疋田絞りのものもありますが、多色使いで具象柄の場合は、だいたい本疋田+顔料描きによる”描き疋田”あるいは”型疋田”が多いです。
草木染では、簡単に染まらないのと、色によって染める方法が違うことが多いので「部分的に染める」のがむづかしく、部分的な疋田は、顔料(絵の具)で「疋田絞りのように描く」ことが普通に行われていたわけです。
しかし近現代の化学染料の時代になると「これはホンマモンの(化学)染料染めの真糊糸目友禅染やで」「これはホンマモンの疋田絞りやで」(疋田絞り=小さいつぶつぶの絞りで文様を表したもの)といったように全て単一の技法でつくられていることが本物の証、というようにしたようです。
博物館にある豪華な友禅染の多くは
1)草木染の絞り染により、文様の大枠を染め分ける
2)絞り染によって出来るシワを完全に伸ばす
3)真糊糸目(もち米の糊)で文様の輪郭線を引き、顔料で彩色する
4)顔料を定着させる
5)糊を洗い落とす
6)顔料による描き足しが必要ならする。描き疋田や刺繍でさらに装飾する。その他、絞り染で染め分けた染ギワがギザギザの部分の、残したくない部分に刺繍を入れてごまかすと同時に魅力的な文様にする
という流れでつくられているものが多いです。
色によって、染め方が変わるため、非常に計画的につくられています。
かといって、現代の図案師の方が描くような細かい完成された図案は描かれておらず、図案は「こんな感じ」というアタリぐらいが多いですね。
あとは、担当するそれぞれの職人さんたちに任されていたようです。おそらく、プロデューサー的な人が「この人はこういう仕事が得意」ということを熟知していたのでしょう。
総体的な方向性はしっかりと持ちながら、それぞれの持場で自由にやってるなあ、という感じです。それが工芸では最も良い仕上がりになると思います。
なので「単一の技法のみでつくられたものが本物」という価値観の現代基準で言えば「昔の名品の殆どはB反でごまかしのニセモノ」になってしまうのです。
面白いですね。
それと、昔の絹の友禅や疋田の名品の生地はとても薄いです。ちりめんなどでも、現代のものと全く違い薄いです。絹の繊維そのものが現代と違い、細く、繊細です。
なので、糸目糊が細くても効き(細かくしっかり描画出来る)絞り染も繊細に出来るしエッジが立った描画が出来ます。
だから、現代の重い厚口の生地で昔の再現をしても出来ません。
そういうことをちゃんと知らないと、友禅染において、いくら古典を真似ても「似ているけど全然違うもの」になってしまいます。
本当に、むづかしいものですね。
そういう場合は、むしろ「表面上は似ていないけども、古典の名品と同じ波長を持つ作品を現代の手法でつくり出す」方が良かったりします。
普段、私が行っている技法でも、専門職の方はもっと高い技術や知識があり、私には分からないことが多いです。(基本的に着物の文様染は分業なのです。ウチは殆どの工程を自工房でやります)私は私に必要な技術は持っているので普段は不自由しませんが、何か新しい試みをする際に必要になると、詳しい人に教えていただいたりします。
さらに「手法」だけでなく「加減」は無限にありますから、本当にやっかいです。
どうしても、伝統系の仕事の細部や加減は「定時に来て定時に帰る」ようなことでは伝わらず「弟子」という形式が必要になってしまう傾向があります。
なぜなら「加減」は、仕事で師匠と同じ瞬間を過ごすことで覚えるからです。
また、仕事以外で、例えば一緒に呑んでいる時などに、フト師匠の口から秘伝が漏れたりします。(師匠本人は秘伝と思っていなくてもその時の弟子には正に必要な教えだったりすることがあるのです)
本当に弟子に教えようとするとブラック企業になってしまうし、ホワイトではまるで伝わらない、むづかしいものです。。。
ちなみに、着物の「合い口」(着物の縫い目部分)の文様は、現代は神経質に合わせますが、昔はものすごく大らかというか、適当で「すごくズレている」のが面白いですね。色も退色でズレたのではなく、最初から合い口の色が違っちゃっているな、というものが多いです。
文様染めでは、最初に着る人の寸法で仮縫いして文様を合わせても、どうしても生地の伸び縮み、その他の原因で、最終的な仕立ての時に文様は完全には合わせられないものです。少しズレます。それを無理に合わせる方が本来は無理があるので、私個人は多少ズレるのは許容しています。
昔のものでも、色を染めた後に刺繍だけで文様を仕上げた着物の場合は、合い口の文様は完璧に合っているものはあります。
昔の草木染の染めは現代の化学染料の染めのように安定して染められないので、大らかだったようです「全体として面白いものなら良し」というところがあったのでしょうね。
陶器などもそんな感じに観えます。
現代は、合い口の色が少しでも違っていると「難モノ」にされてしまいますし、訪問着の文様が合い口でズレるのも嫌われます。
が、昔の大らかな時代の方がずっと良いものが出来ていたのが面白いです。
減点法ではなく、加点法の方が、創作的には良いものが出来るのかも知れません。