当工房の、作品制作の進行方法、並びに展示会の際の仕事の進め方
今回は、当工房「Foglia フォリア」では、日常の作品制作並びに個展や展示会用の作品を制作する際に、どのように仕事を進めて行くかを説明してみます。
(フォリアは和装染色品と絵画の制作・販売を行っております)
なるべく具体的に書こう・・・と書き連ねていたら、長くなってしまいました・・・
それはともかく、
個展等で、まとめて作品制作する際には「日常制作しているものを溜めておいて出品する」のではなく、コンセプトを決めたり、時流を測った上で、テーマを決め、制作する事が多いです・・・日常淡々と制作する作品も、ただダラダラと同じような「作業」をしてつくるのではなく「何をつくるか?」を明快なコンセプトに整理し、制作します。
こう書くと「何を当たり前な事を言うか・・・」と思われるかも知れませんが、工芸の世界では(工芸に限らないかな・・・)
「前年とほぼ同じ作品に、前年と違う題名が付いているだけ」
というものが実に多いのです。
個展などでは
「普段と殆ど変わりない作品群に、違うテーマを付けただけ」
という事が多いものです。
ようするに
「実際には、いつも同じようなものを惰性で作っているだけなのに、題名を変えたり説明を変える事でバリエーションがあるように見せているだけ」
という事が多いのです。
そういうタイプの作者が作品に変化を付けたいと考えた場合「他所から盗用する」というのに走り勝ちです。それは実に多くあります。自ら新しい創作を掘り出すには大変な苦労をし、時間もかかりますが、盗用し、少しアレンジするだけの「劣化コピーの制作」はプロの職人にとっては楽な作業ですから・・・
同じような作品に違う題名をつけているだけ・・の実例を上げると、例えば、団体展の出品作に、前年は「海」という題名でつくり、そして今年は「空」という題名でつくった・・・しかし、どちらも題名以外は殆ど変わりのないものだった・・・そういう感じのものです。
そのように作品が「題名や説明と一致していない」「一致しているわけでもないけど、乖離しているわけでもない」みたいな事が物凄く多いのです。例はいくらでも上げられます。
当工房では「テーマ通りに、題名通りに、説明通りになっている」・・・これを重視します。
「トリュフ風味」と書いてある料理なら、キチンとした量のトリュフが入っていて、その香りがムンムンする、というのでなければ恥ずかしいです。貧乏くさい。「トリュフのかけらが僅かに入っていて、香りがするようなしないような・・・」ではいけません。また、「トリュフのニオイは強くするけども、何か鼻につくね。これは安物のトリュフオイルだね(盗用系はこういう感じ)」というのもいけません。
「題名や説明と作品自体が一致している」ものを制作するには、制作時に「創作的な深堀り」が必要になります。手仕事だからと、感性や頭を使わず伝統技法と称して手慣れで同じようなものをつくるのではなく「こういう染物をつくりたい、どうすれば出来るだろうか?」というのが出発点でなければなりません。それには「いろいろな事象を良く観察し、良く考え、感性と技術の配線工事をする必要がある」わけです。
工房の基本としている作風や技術や方式や創作理論は厳然とありますが、創作的には、それらは「今まではそうしていた」という扱いをします。「今感じる事、観える事」を最優先します。現状の自分たちの技術で対応出来ない場合は、技術自体を新しく生み出し、実現します。
前置きが長くなりましたが、そのような姿勢が基底にあり・・・
個展をする際には、お店からのご要望があれば、それも参照にし、計画を練ります。
もちろん、お店でのコーナー展示や「フォリアの作品は初めて扱うのでお試しで少量並べてみたい」という場合は、その時に持っている在庫作品をお貸しするだけの事もあります。
テーマを練るといっても、工業製品のようなシビアな市場調査をし、それを元に製作し、モニター試験をして・・・という程にはしません。もっと個人的な部分を大切にしますし、まとめ過ぎてエッジが削がれないように、決め過ぎない進行方針です。当工房の基本は個人作家的アプローチでの制作ですから、事が進行し始めた後でも必要があれば調整・転換がしやすく、常に制作の状態を観察し、柔軟に進行して行きます。
展示会での出品作品は
*当工房の定番作品
*定番に新鮮な要素を加えた作品
*実験的な、未来を先取りした作品
と、三段階のものを用意する事が多いです。
実験的・先鋭的な作品は常に制作し、お客さまの反応を観察させていただく、そして購入までは至らなくとも創作的刺激を受けていただく役割がありますから、必ずそういう作品を全体量の1〜3割程度制作します。それは「未来の定番のための用意を常にしておく」という事です。今の新しい実験が、未来の定番をつくるのです。
また「定番作品」のなかに「実験作」が入ると、見慣れた定番作品も実験作の新鮮な波長を受けて新鮮に観えるようになります。それも大切な事です。和装は伝統工芸品とはいえ、作家的なアプローチのものは、そのような「創作の熱」が常に必要です。
当工房では常にいくつものテーマを準備してあります。(完成品としてではなく、どのようにでも展開出来るような状況=5〜7割程度まとめたもののストックが用意してある)仁平(私)が個人的に持っているテーマ、工房構成員の甲斐凡子が個人的に持っているテーマ、工房のテーマとして共有しているテーマとあります。必要に応じて、その中から、その時に最もふさわしいものをチョイスします。
そのように常にストックがありますが、基本的にはストックには頼らず、その時々の「今、新しいもの」の方がふさわしければそれを採用する、というようにしています。ストックと、新しいものとをその時々で戦わせて、よりふさわしい方を使う、というやり方です。
作品制作の際に参照するのは、自分で撮影した写真や描き置いたスケッチ、思いつきを書いておいたメモやエスキース、東京国立博物館にあるような古典(着物関係に限らず、全て)、世界各国の古典、近現代のファッション、現代アート関連、文学、音楽、そして社会の動きです。工芸やアート関係以外のものからも発想を得ます。それらは、頑張って準備するのではなく「元々創作物が大好き」なので自然に溜まって来ます。お店やギャラリーでの個展で、先方からのテーマがある場合は、それに合わせた資料を集めます。
そして、SNSでライブに流れていくいろいろな物事です。呉服関係に限らず、全方向を観察します。同じSNSを観ていても、仁平と工房構成員の甲斐では22歳の年齢差と性差とキャリアの違いや嗜好の違いがあり、それぞれ観えるものが違うので、それぞれの意見を出し合い、お互いの感覚の違い、共通点を共有し調整します。
SNSからの情報は、その時の流行や、これから来そうな何かの兆し、お客さまの嗜好や小売店さんの方向性、ビジネス手法の変化などを観察する事が出来ます。まだ社会では話題になっていない流行の「萌芽」のようなものを捉えられる事において非常に有効です。
創作的には、SNSからの情報の仁平と甲斐のそれぞれが気になった情報を元に話合い、その際に保存した画像なども参照し、散在する情報から共通する一本の線を見出して行きます。それを甲斐と共有し、新しく制作する作品に結びつけます。
近現代の呉服関係や、呉服系の有名作家、工芸・美術団体のものは呉服業界の現状を把握するための知識としては得ておきますが、創作的には参照しません。その手の展示会にも行きませんし、団体展の図録も一点も持っておりません。
最終的な決定は厳然と代表である仁平が行います。船頭は一人にしておかないと舟は真っ直ぐ進めないからです。
工房の「フォリア展」や「仁平幸春個展」だけでなく、工房内独立した 工房構成員の「甲斐凡子」の個展も行われます。
その際には、若手とはいえ、その時々に思いついた作品を作り貯めておいて展示するとか、甲斐の個人的な趣味嗜好に走って手前勝手に制作する・・・という事はしません。
上記のように、フォリア工房の制作における原理原則と、その時の甲斐の状況を鑑みて、親方である仁平がプロデューサーとして、色々なコンセプトや解説、デザインなどを取りまとめます。もちろん、フォリア工房のクオリティに達してないものは出品許可しません。逆に、甲斐が「え、それ行っちゃうの?」という冒険的作品を、仁平がチョイスする場合も多いです。
もちろんその際、甲斐と色々と細かくやりとりしながら決めて行きます。
甲斐の個展では、あくまで主役は甲斐であり、仁平の役割は、その時の甲斐の一番良い部分を形にし、社会に発信し、売上を立てる事ですから、仁平はあくまで裏方です。そして、プロデューサーは「実績」を立てないとプレイヤーに信用されませんから、思いつきで進行させず、全体を把握して的確に確実に進行させる必要があります。
プロデューサーとしての仁平は、甲斐のその時やりたい事、出来る事と、市場の甲斐に対する認知度やファッションや文化の流行などを鑑みて、何段階かに分けて組み上げて行き、理論化し、最終的に作品化し、それを分かりやすく言語化し、解説を発信します。
まずは、甲斐が、その時点で興味のある物事から描いたエスキースや、言葉のメモ、保存しておいた資料画像、その他を用意し、それを仁平が観ながらチョイスして行きます。甲斐自身が、自分で「これはOK・これはどうかな?」という選別もしておきます。もちろんその際は、仁平のチョイスと、甲斐のやりたい事に違いがあったりしますから、それは確認だけして、排除せずに全て入れておきます。ここで少し方向性が絞れたところから、さらに進行させます。
次の段階になると、もう少しエスキースや見本画像、タブレットのお絵かきアプリなどでの作品制作のための資料が具体性を帯びて来ます。
その段階になると、最初にアバウトに決めていたテーマが、その時の甲斐の創作にふさわしいかどうかを前回よりも具体的に検証出来ます。そこで話合いながら「その時の甲斐自身の感覚に合うものであり、かつ社会に新しい感覚を提示出来る」であろうというものをチョイスし、創作の方向性をさらに詰めて行きます。
作者はどうしても視点が自分の内側だけに向き、自作に対する判断をその時点までの肉体的苦労や過去の記憶や偏った嗜好などで判断し勝ちなので、そこでは仁平が基本的にはエスキースをチョイスします。もちろん仁平が外したものでも、甲斐がやりたいと思うものは残します。また、甲斐があらかじめ外しておいたエスキースも、出して仁平が検証します。その「作者の甲斐が外したものに宝がある事も多い」からです。
選別の際「なぜそれを選んだか」という事を、仁平が甲斐に細かく説明します。そこで、甲斐自身の自作への理解が深まりますから次への段階への足取りが確かになります。
「甲斐が外したものもチェックする」理由は、創作は半無意識にポロっと出て来て、作者自身が戸惑い排除するようなものに真に斬新なものがあるものだからです。それは作者自身は把握出来ていない事が多いですから、捨てたものに良いものがあれば、仁平が拾い、その良さを解説し、納得させ進行させるわけです。
そこでチョイスしたものは、プロデューサーの仁平的に「このエスキースはこの方向で図案化して、こういう風に進めると良いんじゃないか」などと提案します。あくまで「提案」であって「そうさせる」事はありません。甲斐は「なるほど確かにそれが良さそう」という時もあるし「それは違う、これはこういう意味で、こういう解釈で進めたいと思っている」と反論して来る事もあるので、それはそれで話合い、ではこれはこういう方向ならいけるんじゃないか、などと進めて行きます。
【重要なのは「これは親方が弟子にする“ダメ出し”ではない」という事】です。
「より良いものを社会に提供し、かつ甲斐の創作が一番良い状態である事」の達成が最大の目的ですから、そのための工程です。だから、私が親方であってもそういう意見のやりとりの際には上下はありません。
この段階でテーマと方向性はかなり絞られますが、そのテーマに具体名は与えられていない、という状況です。
さらに、原寸の着物や帯の図案に起こす段階になると、仁平が文様の問題のある部分を調整するよう指摘し、図案を仕上げて行き、同時にタブレットのお絵かきツールで配色なども具体化して行きます。現物の配色の際もいろいろ指摘して進めて行きます。その作品個別のコンセプトなども整理し、テーマに合うように擦り合わせます。また、制作の際に甲斐が気づいてない良い部分を拾い上げ、色々アドバイスし、制作を進めます。
そうなって来ると、数点は作品が仕上がって来るので、まだ作者自身にもあいまいにしか観えていなかったテーマが鮮明になって来ます。そこで「ではテーマの具体名はこれにしよう」と決まります。
創作時は「創作の方向性は強く感じて把握しているけども、そこに具体名を与えられる程には鮮明になっていない」事が多いのです。それが、観えて来るわけです。
2022年8月に東京南青山のイトノサキさんでの甲斐の個展では「花鳥園・園長=甲斐凡子」という風になりました。
そして、その個展では着物は制作せず、名古屋帯だけを制作しました。それは、コロナ禍による景気停滞で呉服店さんがセールを長期間に渡って行っているため、お客さまは新しくご購入された着物を多数手にしている状況ではないか?と想定し、それに合う「個性的かつ汎用性のある名古屋帯」をご提案したら喜ばれるのではないか?という考えからです。
初動では甲斐が「今回は植物と鳥の柄をやりたいけど大丈夫かなあ?」という感じで始まり、ではやろう、という事になっていたものの「花鳥園」というテーマにまではその場では至りませんでした。「花鳥園」というタイトルにするのはちょっと遊びすぎかな、という気持ちもあり、迷ったところです。
しかし、過去3回の甲斐の個展ではフォリア工房の定番をベースにした甲斐流の表現が多かったけども「4回目の個展である今回は、もっと甲斐の女性性と、元々持っているユーモアとカワイイ感を直接的に出しても良い時期なのでは?」と話合っており、そのような実験的な作品の数が新作総数の半分程度にもなっていたので、ただ「草花と鳥の文様の名古屋帯展」よりも「甲斐凡子の花鳥園」とした方がお客さまにもメッセージが伝わるのではないか?という事で「よし、花鳥園=園長・甲斐凡子で行こう!園長がんばれ!」となりました。
工芸作家というと、作者が自分の思うままに創作をして・・・という風に思われますし、そういう人が多いですし、そういう制作方法が向いている人もおります。しかし、フォリアでは良く話し合いが持たれます。
もちろん工房の展示会「工房展」でもそうです。
テーマを決める際には話し合いますし、その時点で甲斐から観えるもの、仁平が観えるものと色々話合い、具体的にして行きます。
工房展では親方の仁平の作品がメインですが、仁平も、甲斐の感性と眼を使います。例えば「これどうだろう?」と仁平の描いた図案を甲斐に見せた瞬間の「反応を観る」のです。「言語化される前に無意識に出てしまう反応」が一番精度が高いのです。
「同じ方向を向いた、違う感性と眼」があるなら、それを使って多角的に「検証」した方がより良い作品になります。
フォリア工房で制作するものは、現物はイヤという程手作りですから、最終的には本人がつくるしか無いわけです。その準備のために計画し検証して進行させる事は、創作のジャンプ台になる事はあっても、足かせになる事は無いのです。
言うまでもなく、計画はあくまで計画であって、実際に作品を制作中にはいろいろな事が生まれては消えますから、そこで起こった「より良い事」を定着するのを優先します。展示会用に設定したテーマを外れても「今手掛けている作品自体が向かいたがる方向性を優先します」。あくまで、制作している作品自体は、それが最大に生育するように制作するのです。
それが最終的に、展示会のテーマに合わない場合は、その時の展示会には出品しない、という調整をすれば良いのです。ですから、テーマを元に何かを制作しても、個別の作品がテーマによってまとめ過ぎた感じになったり、小ぢんまりしたり、エッジが鈍るような事は一切ありません。
作品制作は【企画計画→制作+編集】です。
そして、上にも書きましたが「最終的な決定は絶対的に仁平がする」のです。そのために「情報を出し合う」わけですね。これは単純にこの工房の代表は私ですから私がそれを請け負っているだけであり、もし甲斐が完全に全ての決定権を行使したくなれば「この仕事においては甲斐に絶対的な決定権があるようにする」ように設定し仕事を進行させれば良いのです(責任は代表の仁平が取りますが)あるいは工房内独立ではなく完全に独立して自分の工房を持てば可能です。
もちろん、日常、突然閃いて産まれ出て来るものから作品を制作する場合も多くあります。しかし、それもただそのまま出しただけでは社会と繋がれないのです。それが斬新で革新的なものである程、その作品の明快な解説と、実際に着たり飾ったりした際の実例と、作品を観た方々がそれを「心に受け止めるまでの時間」が必要になります。それはだいたい3〜15年かかります。特に、当工房のように社会の認定が全く無い場合は、簡単に社会の信用を得る事は出来ません。
自分が望む作品をつくるのはある程度の資質と才能のある人にとっては、それほど難しい事ではありません。難しいのは「自分の新しい創作を社会と繋げ、経済に結びつける事」です。
繰り返しになりますが、
当工房のように小さい工房でもそのように役割を設定するというのは(その役割は時折入れ替わります)「熱狂して制作する内側の人間」と「半分内側で、半分外側の冷静な人間」の両方がいた方が有効だし必要という事に過ぎず、制作者とプロデューサーの立場に上下はなく、単に「より良い仕事のためにそうする」それ以上の意味はありません。
制作時に作者は「熱狂」し深く潜る、あるいは高く跳ぶ事が必要です。しかし、その時点での視野は狭まります。
そこで、その熱狂を理解しつつ、半分その外側にいる人のニュートラルな感性と視野が必要になるわけです。
・・・と、そんな感じで展示会を進めていっているフォリア工房でございます。m(_ _)m
ヘッダー写真は【梨地名古屋帯「鳥と花の輪」甲斐凡子作】です。花の文様にかわいい小鳥が隠れています。