確かな意図を持って「微調整」出来る人がプロ
だと、わたくしは思っております。
例えば作品づくりにおいて
「ただ大胆な事をする」「人とは違う変わった事をする」
のは、多少の資質と才能があれば容易いものです。
そういうものを産み出す際の感覚を、仮に数値に表わしてみると・・・
1・150・300・500・1000・・・・
という具合の飛び飛びの数値の、その間の数値は関係ない感じ。
しかも、その数値は決まっているわけではなく、その時々で適当。毎度大きくブレています。もしくは、その数値は常に固定されていて、その数値から出る事はなくそこでばかりやっている。その意図の無いブレや固定を、個性的と把握してしまう人が、作る人でも受け止める人でも、割と多いのです。
そのようなものは大雑把ですし、意図を持って調整出来ていないので散漫な印象になります。
が、プロは、こんな単位の数値を狙って使います。
1・1.021・1.235・・・(この数値自体は適当ですが)
というぐあいに「必要な微調整を強い意図をもって行う」わけです。
さらに、例えば「1.021」が必要なら、その数値で何度も行えるのです。もちろん、手作業であればブレはありますが「1.021」を中心としてのブレなので、むしろそのブレは味わいに感じられます。
このような微妙な数値は「意図無く適当にやっているものを計測してみたらそういう数値になった」のではなく「狙ってそうしている」わけです。
適当にやって大きくバラけた方は散漫な印象になり、必要な微調整をした方は、明快になります。大胆で力強いものにするには、微調整が必要なのです。
例えば「遠くへ飛ばした者が勝ち」というスポーツなどでも「この範囲から外れたら無効」というルールがありますから、強さと精度は同時に必要です。それに「遠くに飛ばすための、肉体のいろいろな調整」に関しては精密に微調整するはずです。
例えば、配色の問題で
普段、あまり色味のあるものを扱わない人が、急に色を扱おうとしても、なかなかうまく行きません。
一見、原色同士を大胆にぶつけあったような配色でも、見事なものは実際には微細な調整をしてあります。
例えば普段、シックな色系ばかりを扱っている人が、誰かに「アイツは原色を使えないからな」と批判されて「オレだって原色を使える!」と普段使わない配色をしたような場合、色を精緻にコントロールする学習と訓練が無いので、まるで絵の具の原色をチューブからそのまま絞って色を並べたかのような配色になってしまいがちになるのです。
ちょっと感覚的に弾けた事をやろう、と思いつきでやってしまったものなどもそうですね。
原色、あるいは彩度の高い色を使う際には、色の彩度の微妙な調整はもちろん、色の面積の調整も重要です。
例えば、帯に彩度の高い赤を使うとしたら、その帯のタイコの面積に対してどれぐらいの面積の赤にするか、というのはその赤の色味と同じぐらい重要です。
あるテーマでは、地色が真っ赤で挿し色も赤の濃淡という「全体が真っ赤」という使い方が必要になるだろうし、あるテーマでは、地色は墨色で、赤い色の点がひとつだけにする事で赤を際立出せたり・・・
彩度の高い色を使うというのは、構図、その他の事に加えて管理する情報が増えるという事になりますから、経験と理論がより必要になります。
作家ものの文様染や、作家ものの織で、管理や計算なく自由に彩度の高い色を使って、なんだか良く分からないものになってしまっているものは良くあります。
それを、作家らしい自由な表現として楽しむ人も多いようですが、厳しく言うとそれは質が低いと個人的には思います。
もちろん、彩度の高い色を沢山使ってさらにコントロール出来ていれば、それは沢山の楽器による重奏曲のようなものになります。
それを可能にするには、色の彩度、濃度、そしてコントラストや面積の関係を良く理解した上での配色の訓練が必要になります。
良く、デッサンは練習でなんとかなるが、色彩は持って産まれた才能による、という言い回しがありますが、そんな事はありません。
資質と才能は持って産まれたものを使うしかありませんが、センスは訓練によって身につきますから、プロであるなら、生来自然に持った資質や才能、好みとは別に、仕事で扱う対象の学習と訓練は必要になります。
そういう基礎学習と訓練をせずに、手癖と嗜好だけで押し切ろうとするとどうやっても「増幅」は起こらず「まとめきれずに散らかしてしまった感」が出ます。その散漫な感じを「職人とは違う作家らしい自由さ、挑戦」とするのは、個人的には違うと思っています。
そういうものは、一見個性的に見えてもいつもどうどう巡りの、悪い意味で同じ性質のものになってしまうので「またコレかよ・・・」と見る人に飽きられます。
そういうものはプロの仕事ではないな、という印象を持ちます。もちろん、そのようなものはアーティストの自由な表現でもありません。
これは制作する側にもコーディネートする側にも起こる事です。