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受け入れるということ

乳がんの治療と角膜潰瘍の治療を並行して行っていた私ですが、不思議と命に直接関わるがんよりも、目が見えづらくなってしまった角膜潰瘍の症状のほうが精神的苦痛が強く、生きていく気力すら奪っていきました。

8クールの抗がん剤治療を予定し、5クール目が終わる頃に発症した角膜潰瘍は、がん告知を受けた日からその日までに蓄積していた不安や副作用によるストレスが、片目が見えなくなったことで一気に爆発し、過呼吸になるほど泣きじゃくり、大きな声で「大丈夫、大丈夫、大丈夫」と叫び、時には自分の体を殴りながら、おかしくなってしまいそうな心をなんとか抑える日々が続きました。今思い出しても辛く、苦しくなります。(現在は落ち着いています)

当時は母が私の家に泊まり込んでくれ、ずっとそばにいてくれました。この歳になって、母に手を握ってもらわないとうまく呼吸ができず、夜は同じ布団に入らないと眠ることができなくなる日がくるとは思ってもいませんでした。しかし、そんな日々の中でも自分自身と向き合うことで、気づきを得ることもありました。

それは、どんなに苦しくて不安で仕方のない日々が続いても
「今を受け入れた瞬間」が訪れるということ。

私の場合
・癌が見つかり治療をするということ
・手術をするということ
・抗がん剤治療による副作用があること
・目は元にはもどらないということ
などなど・・・

それはパニックのようなストレスが自分のキャパシティを超えて爆発するのとは正反対のような感覚で、何かのタイミングでふと今の自分を客観視し、受け入れて、今やらなければいけないことと向き合えるようになる瞬間がくるのです。

今が辛くて辛くて仕方がない。目が見えづらくて、これからも見えるようになるのかわからなくて、副作用も辛い。抗がん剤の治療が終わっても、再発が怖い。不安に押し潰されそう。それでも……

「今は治療中で、良くなるための日々を過ごしているんだ。」


そんなふうに思える瞬間が急にやってくるのです。

辛い気持ちは変わらなくても、心が穏やかに過ごせる日が増え、少しのゆとりができると、“不安や恐怖”といったこと以外の出来事にも目を向けられるようになります。それは、人として生きていく上で、とても重要なことなのだと思います。

私の場合、「大丈夫!大丈夫!」という文字を書いた画像をスマートフォンの待受にしたり、少し不安になると、そばにいる母に「大丈夫だよね」と声をかけ、「うん、大丈夫だよ」と返してもらうことで、“受け入れる”ための近道になったのではないかと感じています。

お守りのようになっていました

それでもやっぱり波はあって、急に生きていくことが怖くなったり、涙が止まらなくなることもあります。落ち込んだり、良くなったりを繰り返して、受け入れた事実と向き合っていくのです。

この経験は、もう二度としたくないと思うほど辛く苦しい出来事でした。しかし、がん告知や角膜潰瘍の治療を通じて、“受け入れる”という行為が、私に今までよりも何倍も強く深い根っこをつくってくれると気づいたころから、見える世界が変わってきたように感じます。





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