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霧雨魔理沙の両親とは

 アンケートを取っていました!


 霧雨魔理沙の親父さんは、果たして良い人なのか悪い人なのか、という問い。一概に良い悪いを決めることは出来ないが、ある程度なら決められるのでは?と思ってアンケートを設置した。今日はこれについて話したいと思います。学級会か?


親父さんという立ち位置

 霧雨魔理沙と森近霖之助を考えるにあたって、切っても切り離せないのが親父さんという人間の人物像だと思う。正確には霧雨魔理沙のご両親だ。

 霧雨魔理沙の両親の人間像について語られていることはほとんどない。人里で店を持っていること、親父さんは森近霖之助を弟子にとっていること、そして霧雨魔理沙を家から追いやったこと。二次創作で何度か目にしたことはあるが、その人物像について語られていることはほとんど無いと言って差し支えがないだろう。


 店を繁盛させるほどの商売上手、弟子を取るという行為から責任強く真面目かとも思っているが、霧雨魔理沙を追い出すのならその人物像にも疑念が残る。なので、ひとまず現段階で私が抱いている親父さんという幻想を記録に残しておこう。

 また、それに付随して霧雨魔理沙が家出した内容についても考えたい。親父さんの人格によって家出の理由って変わりそうですし。

 なお、あくまでこれは考察ではなく私の幻覚である事を留意頂きたい。よろしくお願いします。


良い人であると仮定した場合

 例えば、親父さんが滅茶苦茶に良い人であった場合。子煩悩で親バカで、経営が上手く信頼も厚い、さまざまな人に対して優しかったと仮定した場合はどうだろうか。

 偏見含め、霧雨魔理沙と森近霖之助の二次創作で描かれがちなのはこのタイプの親父さんだと思う。魔理沙を好きすぎる余りにウザがられていた魔理沙の幼少期は子煩悩だからこそ起こりうると考えたい。私も同じような考え方をしていた時期がある。


 では、この場合の家出の理由は何か。その話をする前に、幻想郷での「異変解決を行う人間」について考えたい。「空を飛べる人間」と仮定しても良いが、例えば。人里で異変解決を行う人間が白い目で見られる立ち位置だったとしたら?

 異変解決をしているということは、本来恐れられる妖怪と関わる機会が増えるということだ。また、本来できない空を飛ぶという行為ができるのは妖怪に近い人間であると考えられるのではないのだろうか?つまり、博麗神社が妖怪の居る神社だと恐れられるように、異変解決を行なっている事こそが恐怖の対象になりうるのではないかと考えているのだ。


 これでは親父さんは慌ててしまうだろう。愛する娘が人里の中で白い目で見られるようになってしまっては娘の将来に不安が残る。将来戻ってきたいと考えたとしても、すでに戻る場所が無くなっているかもしれない。

 だからこそ娘にこう伝える。「空を飛びたいのなら家から出ていってくれ」と。

 諦めたら僥倖、諦めなかったとしても「彼女は別の場所で修行している」と周りに言い訳できるのではないか。自分が娘に嫌われる事で娘を守る。さながら崖から子供を落とすライオンのようではないか。

 そして、霧雨魔理沙はこれまで信頼していた親父さんにこう伝えられたのならば、裏切られたと考えるのではないか?結果として意地を張ってしまい、そのままずっと家出をし続ける状況なのではないかと考える。


悪い人であったと仮定した場合

 ※過激な表現があるのでこの章は読み飛ばしていただいても大丈夫です。

 では、嫌な人間だった場合は?例えば霧雨魔理沙を暴力の力で支配しようとしていたり、怒るときや機嫌が悪い時は霧雨魔理沙を蔵に押し込めてしばらく放置した後霖之助さんがこっそり蔵から出してあげていたり、はたまた娘を金儲けの道具として見るような親だったとしたら。

 その場合は家出の理由もわかりやすいですよね。例えば「魔法使いになろうと考えている」と伝えられた時に、飲んでいた酒をぶっかけて「許すわけねえだろ!」と叫んでる姿さえ思い浮かべられる。経済的価値を見出していたなら、人間離れしてしまうと価値が薄れてしまうと考えそうだ。

 そこから「二度と帰らねえよ!」と言って家を出ていたら、多分周りにあることないこと吹聴してそうだし人里に帰ることすらしなさそう。なるほどね。


 親父さんを毛嫌いしている、という考えならこの方向も考えて良いかもしれない。これなら霖之助さんも無理に帰そうと出来ないはずだし…。

 あと、偏見含めですけど、多分この親父さんは外からの信頼は厚いんだろうなと思います。擬態が上手く弟子である森近霖之助も詳細までは把握できてなくて、みたいな方向性も考えられそう。どうですか?


良い人でもあるけれど悪い人でもあると仮定した場合

 そもそも、人間を良いと悪いでくっきり区別できるわけでもない。


 前述した「良い人である」と仮定した場合でも、例えば霧雨魔理沙が未だに帰ってくると信じていて、今はあんな風に自由にしているけれどいつかは帰ってくるんだから、その時のために婿のことだって考えなければ…とじくじく話をしてきている場合ならば、森近霖之助やその他大勢が親父さんを良い人だと思っていても、霧雨魔理沙にとっては悪い人になるのではないか、という話。


 霧雨魔理沙が人里を出たかった理由として、人里で想定されている人間らしい一生が嫌だったのでは?と考えている。結婚して、子供を育てて、老いて死ぬ…その一生は霧雨魔理沙にとってつまらないと感じたし、その一生は意地でも歩みたくなかった、だからこそその道を歩むと信じて止まない両親は霧雨魔理沙にとって嫌な人間だったのでは?と思いました。

 ただ、この方向だとどちらにとっても不幸になるなと考えている。親父さんが完全に嫌な相手ならば恨むことも容易いし、良い部分のみであったらいつかは家に帰ることも出来るかもしれない。けれど霧雨魔理沙にとってのみ嫌な相手であれば、周りからは親父さんは良い人なのに…と言われたり、親父さん自身が善意100%なのに娘から嫌われる。


 地獄じゃん!

 悪意から来る嫌悪よりも善意から来る嫌悪の方が面倒だし、理解されない相手からはどうして?と言われる。八方塞がりになるバッドエンドだな~と思いました。



さいごに

 結局どれも地獄みたいになってしまった。私としては一番最後のが有力かとも考えているけれど、その実全てが幻覚だし、この話と関係なく親父さんについてどう思っているかをぜひ教えて欲しい。お願いします!幻覚が必要なんです!

 ただ、森近霖之助は親父さんに弟子入りしているし、霧雨魔理沙は実家から飛び出している。その事実はちゃんと香霖堂に書いてあるのでご参照ください。


 最近は霧雨魔理沙の過去についてぼんやりと考えていて、どうして毛嫌いしているのか、今も嫌いなのか、これから先も嫌いなままなのか…そしてその関係について、森近霖之助はどう思っているのか。夢が広がりますね!


日記だ!

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 フルーツを食べました。さくらんぼだ!これのほかにも桃も食べました。桃、美味い!


 フルーツが好きだし桃が一番好きなんですけど、でも量が食べられない。

 好きな食べ物であってもなんだとしても、どうしても同じものを食べ続けるのが下手なので途中から嫌いになってしまう。たまに同じものを食べ続けられる人が居るけれど、あれって存外才能だよな~と考えています。


 という話をしたら「雨野さんも同じ推しカプをずっと推してるじゃん!」と言われた。もしかしてこれって才能なの!?

 その友人はジャンルを飛び飛び移動する子で、私が5年ほど魔理霖に傾倒しているのをすごいと断定した。よく考えれば、先述した「同じものをずっと食べられる人」も自分のそれがすごいことだとは考えていないかもしれない。なるほどね!才能だったんだこれ。


さようならフリート

 フリートが消える!8月3日に。

 消える理由はツイ廃しか使わないから…という理由だった。フリートの後スペースは残るらしいけれど、上にどうやって出るのか不思議ですね。Twitterの範囲が狭くなったとあれだけ騒がれていたのはどうなるのでしょうか。


 フリートって結局便利だった気がする。絵を上げたよ!というツイートは全員のタイムラインに行き渡らないものの、フリートに上げれば皆のタイムラインの上部には表示される。らくがきや写真を上げられるのにも重宝しているし…

 でも使わない人は本当に使わないし、きっといらないと感じていた人にとってはそこまで騒ぐことか?と混乱されていることでしょう。というかモーメントが排除されてないということは、モーメントは利用されているのだろうな。

 消える前に何かやっておこうかな。まあいいか。Twitterだし…。


 さて、幻覚を文章にしていると3500文字になってしまった。すごい!小説か?幻覚ってすぐ文字数が多くなるね。ただ、今日書いた内容はあくまで幻覚であり、こういった内容は原作に一切書かれていないことをご一考下さい。あくまで可能性の一部なので。

 もしかしたらもっと地獄かもしれないしね!


おしまい

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雨野みるは
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