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人は主婦に生まれるのではない、主婦になるのだ

例えば、の話をしよう。

 

あなたは今、喫茶店で本を読んでいる。一時間後、きりのいいところまで読み終わったあなたはスマホを開き、家にいるはずの家族にLINEする。「そろそろ帰るよ」。そして会計を済ませ、店の外に出る。駅で電車に乗り、五分ほど揺られて帰る。家の最寄り駅のスーパーで、切らしていた牛乳を買う。会計を待ちながらスマホを開くと、家族に送ったメッセージは既読がついていない。出掛けているんだろうか。会計を済ませ帰路につく。十分ほど歩き、自宅到着。鍵を出して開ける。「ただいまー」。「おかえりー」。あれっ、出掛けた訳じゃなかったのか。リビングへ行くと、家族がポテトチップスをつまみながらソファーに横たわり、テレビでDVDを見ている。「何の映画?」などと会話しながら、部屋の隅の加湿機能付き空気清浄機を見やる。この前、咳き込んだ家族が責めるように「ねえ、この空気清浄機、いつになったら使えるようになるの?」と爪先で小突いて喧嘩になった、約二年前購入の空気清浄機だ。脇には、先日あなたがネットで注文し、昨日宅急便で受け取ったばかりの交換パーツ入り段ボールが置いてあるけれど、未開封。あなたはソファーにいる家族を見る。「ねえ、ずっと家にいたなら、空気清浄機のパーツ交換、しておいてくれてもいいんじゃないの?」・・・と、あなたなら言うだろうか?

 

家にいたなら、このくらいしておいてくれてもいいんじゃないか・・・

 

最近、家族からそういう無言の圧のようなものを感じる機会が増えてきたように思う。

前はそんな風じゃなかった気がする。共働きで、まだ子供がいなかった頃。家事に関しては、わたしは割とズボラでいい加減で、どちらかというと家族のほうが細かいことにこだわり口うるさいタイプ。でも、二人とも決して几帳面ではない。

しかし、香川への引っ越しが決まり、仕事を辞め、子供が生まれ、わたしが「家にいる人」になった、ここ一、二年くらいの間に。

 

「なかなか水虫が治らないんだけど・・・ちゃんとお風呂掃除してる?」(家にいたならちゃんと風呂掃除してよ)

「なんでこれがこんなところにあるの?」(家にいたなら元に戻しておいてよ)

「ねえ、この空気清浄機、いつになったら使えるようになるの?」(家にいたなら使えるようにしておいてよ)

 

ここ最近家族からかけられた言葉だ。

 

家族が変わったのか、それともわたしが変わったのか。

きっと両方なのだろう。

家族は、わたしがずっと家にいることに慣れた。わたしも、ずっと家にいる自分に慣れた。

 

先日も似たようなことを書いたけれど、人はある日を境に、例えば仕事を辞めたその瞬間から突然変わる、という訳ではないのだと思う。日が経つにつれ、次第に変化してゆくのだ。

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」が事実なら、「人は主婦に生まれるのではない、主婦になるのだ」もきっと。

その人自身が主婦であることに慣れ、主婦であるという自覚を持つようになると、同じ時間をかけて、周囲の人もその人が主婦であることに慣れ、ずっと前から主婦だったような気がしてくる。

そして「主婦ならこういうことをしておいたほうが良いんじゃないか」、「主婦ならこういうことをしてくれておいても良いんじゃないか」と思うようになってゆく。

 

なぜ、家にいる時間が長い人は、家の中のことをしておかなければならないんだろう?なぜそれが当然ということになっていくんだろう?

家にいる人と外で仕事をしている人がいたら、後者のほうがより苦労している分、より労られなきゃいけないってことになるのはなぜだろう?

 

こう書くと「それは単にあなたがズボラでいい加減で、やりたくないことから逃げ出したいがために、変な理屈をこねているだけでしょ、稼ぎもないくせに」、「あなたは主婦なんだから、家の中のことはやって当たり前でしょ、甘えるな」と言われてしまうかもしれないけれど。

 

そういえば、あなたは冒頭の例え話をどう読んだだろうか?(この例え話は一部の台詞を除き全てフィクションだ)

あなたは、そして家にいた家族は、女性だろうか?男性だろうか?仕事をしている?それとも仕事をしていない?仕事をしているなら出勤?それとも在宅勤務?子供はいる?それともいない?あなたは、もしくは家族は、体調が悪かったのではないか?疲れていなかったか?

あなたと家族の立場を入れ換えて、性別を入れ換えて、もしくはあなたと同性にして、もう一度読んだら?そうすることで全く別のお話になるとしたら?

 

空気清浄機は、ちゃちゃを入れてくる子供をかわしながら、わたしが掃除し、パーツを交換して、いつでも稼働できる状態にした。実はその前日、家族がずっと一人で家にいたのだけれど、代わりにやってくれることはなかった。

「家にいたならやってくれても良いのに」・・・そう言いたくなるのをグッとこらえた。いや、訂正。いつものことながら言えなかった。「家族は仕事で疲れているから仕方なかったんだ」と自分を慰めた。もしその嫌味が通用するなら、「家にいたならやってくれても良いのに」と毎日言われても仕方ない、ということになるからだ。

 

この秋冬、我が家の加湿機能付き空気清浄機は心機一転、爽やかな空気と湿気をもたらしてくれるだろう。

一方、人間のわたしたちは・・・どうなるのだろうか。

 

 

 

 

 

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