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「地方でのんびりと過ごす」?
地方移住してきて無事半年が経った。
「いつかこれが日常になるのだろうか」と思っていた身の回りの景色にもすっかり馴染み、もはや当たり前のことになっている。
生活の中に常に海がある環境には、まだ慣れないけれど。
(その思いを、二冊目の俳句と短歌の同人誌のタイトルにも使った)
東京での生活に比べたら、不便になったことは多い。
現在は感染症流行下なこともあり、気ままにあちこちへ出掛けることができず、在住県内に閉じ込められたままなことも、心理的な負担ではある。
徒歩で行ける範囲は限られている。
東京のように、ちょっと電車に揺られたら全く雰囲気の違う町、という訳にはいかない。
全く違う雰囲気を味わいたければ、ある程度の距離を移動しなければ。
博物館や美術館もあるけれど、感染症でお休み。
何かと同じ場所へばかり出掛けてしまう日々。
昨日も来たわ、と苦笑しながら見上げる、テナントが減る一方の駅ビル。
最低賃金は低く、正社員の仕事も多くはないから、将来への不安も…
ネットやSNSで東京などの大都市の情報を見ても、羨ましさで頭がおかしくなってしまわないのは、恐らく過去にそこに住んでいて、都市での生活を満喫した記憶があるからこそかもしれない、などと思う。
もし、好きな芸能人の有料オンライン配信すらなかったら…と考えると、なかなか恐ろしいものがある。
まあでも、物価は安いし、そんなにせこせこした雰囲気はないし、のんびり過ごすには、地方都市は良いところだと、確かに思う。
ただ、東京にいた頃も、こちらにきてからも、身近から聞こえてくる、この「地方でのんびり過ごす」というのは一体どういうことなんだろうと、時々考える。
満員電車に悩まされないこと?
人混みに揉まれないこと?
過剰な競争に晒されないこと?
あまりお金を使わずに済むこと?
自然と触れあうこと?
それが、本当にのんびり過ごすということ?
何かを諦めることなんじゃないか、地方でのんびり過ごすというのは…と、元気がない時ほど、考えてしまうことがある。
行きたくてたまらなかった芸能人の舞台も、同人誌の即売会も、お金は支払ったのに、行けずじまい。
何も残らず、ただお金だけが消えてゆく。
感染症が流行しているから仕方ないことなのかもしれないけれど、この日常が終わったあと、都市と地方の間では、その思い出、記憶の違いから、相互理解が難しくなるんじゃないか、ということまで、たった今、考えた。
地方生活者として、何かに期待することに少し、疲れてしまってはいる。
期待して得られず、喪失を味わうくらいなら、最初から期待しないほうが楽ではある。
誰が悪いということではなく、本当に感染症のせいではあるのだけれど。
でも。
なにか愉快なことを、日常のなかから探しだしたいという気持ちまでも、消えてしまったわけではない。
インターネットやSNSの力にも、まだ期待はしている。
なにがしかを、産み出す人になりたい。
のんびりする方法を模索する日々は終わらない。
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