見出し画像

陶器が苦手だった

10代、20代の頃は陶器が苦手だった。


家族から「プレゼントに食器をあげる」と言われても「陶器はいや、漆器にしてほしい」と頼み、木のお椀をもらった。

デパートなどで食器売場を通りかかった時は、ドキドキビクビクしながら歩いた。


なぜそこまで敬遠していたのかというと、割れるからだ。


一度割れた陶器は元には戻らない。

金継ぎという方法もあるけれど、過去にタイムスリップできる訳ではない。


嫌な思いをしたくない。

傷つきたくない。

失敗したくない。


いつの頃からか、そんなふうになっていった。

自分では気づかなかったけれど、陶器への思いに、頑なに変えようとしなかった苦しい生き方が映し出されていたのだと思う。


十年ほど前、遠距離恋愛での交際を始めたばかりだった夫が、別れ際にプレゼントをくれた。


開けてみると、それはあろうことか、陶器のマグカップだった。

灰色っぽい地に、青で現代風の唐草模様のような絵が描かれた、地味なマグカップ。

彼の説明によれば、海外への輸出用に作られた日本製の古物だという。

だからなんとなくエキゾチックな雰囲気が漂っている、ということらしい。

関西に帰れば彼の家にも同じものがある、とのこと。


なんてことをしてくれたのだ、と思った。

マグカップなんて、何かあったら割れてしまうではないか。


それでも、自宅に持ち帰り、大事に使った。

割れるぞ割れるぞ、いつか割れるぞ、とビクビクしながら。


マグカップとの日々を過ごすうち、それがきっかけなのかは分からないが、わたしの陶器アレルギーは少しずつ、和らいでいった。


東洋陶磁が好きだと気づいた。

特に、高麗青磁は素晴らしい。

控えめな青緑色をした、どこか寂しげな、しかし凛とした陶器たち。

展示に自然光を取り入れた大阪の東洋陶磁美術館は印象的な場所になった。

いつか必ず再訪しよう、と心に決めた。

(以前館長をつとめ、現在は名誉館長となられた方のお名前を「でがわてつろう」さんという。あのお笑い芸人と同姓同名だ。)


うつ病からの復職後、金箔の縁取りがついたピンク色のマグカップを取り寄せ、会社用に持っていった。

電子レンジには入れられないが、静かな一人部署で、カルディーで買い集めたティーバッグを片っ端から飲んで過ごした。

身の回りにお気に入りのものを置くと、心踊るということが分かった。

レモングラスティーの美味しさにも目覚めた。


とあるきっかけで手に取った備前焼の古本を見て、備前焼もいいな、と思った。


豆皿、小皿もいい。

動物のイラストが描かれた小皿で食事を出すと子供が喜ぶのを見て、絵皿ってこんなにありがたいものだったのか、と感動した。

物に対する執着があまりないので、山ほど収集するつもりはないけれど、好きなものを二、三枚持ったら楽しいかもしれない。


そして何より、扱いにさえ気を付ければ、陶器は時をこえられるところがいい。

祖父が初孫のわたしのお食い初め用に自ら焼いたというミニサイズの小鉢が、子供がカップヨーグルトを食べるときの「枠」にちょうど良いと気付いた時、そう思った。

残念ながら祖父はひ孫に会うことができなかったけれど、陶器に姿を変えて会っているのだとしたら、なんて幸せな光景なのだろう。

本当に良い陶器は割れそうで割れない、ということも、つい最近知ってしまった。

数ヶ月前まで、子供が食事中に土器投げの要領で小皿を投げまくるので、困っていた。

でも、何枚も割れた皿を片付けるうち、なかなか割れない猛者もいるということが分かってきた。

その名をウェッジウッドという。

なんという勿体ないことをするのだ、とお怒りになる方もいらっしゃるかもしれないが、離乳食、幼児食を提供するのに、どれだけ大英帝国の技術力に感謝したか分からない。


誰しもいつか命が尽きるように、陶器もいつかは割れる未来を逃れられない。

それならば、はなからその未来を悲しむより、その陶器でどんな食事をしたか、誰と食べたか、どんな話をしたか、どんな思い出が残ったのか、ということのほうが、よっぽど大事なのではないか。


結婚前にもらったマグカップは、引き続きマグカップのかたちを保っている。

今では、そっくり同じ形のマグカップが二つ、食器棚に並ぶ。

もうどちらがどちらだったかは忘れてしまい、かつてと比べたら扱いも随分無頓着になった。


遅かれ早かれ割れてしまうかもしれない。

そうしたら、今度はめいめいが好きなデザインのマグカップを買ってきてもいい。
気が向くようなら、また新しいお揃いのマグカップにしても愉快だろう。

いずれにせよ、楽しみである。

🍩食べたい‼️