見出し画像

夫への怒りは「男性全般への怒り」なのか(私たちの場合)

私も怒るべきなのだろうか、ということを、昨日ふと考えたのだった。

情報発信、収集のために使っているツイッターのタイムライン(フォローしているアカウントから流れてくるツイートの一群)を眺めていると、かなりの頻度で、何かしらに腹を立てている人たちの呟きが流れてくる。

呟きには相当数のいいねやリツイートが集まり、かなり話題になっているらしいことがうかがい知れる。

例え趣味別にアカウントを使い分けていたとしても、全く同じツイートが流れてくることだって、もはや珍しくはない。

世の中の沢山の誰かさんたちがそうしているように、私も「もっと大きな何ものか」に対して怒るべきなのだろうか……

そう考えたのは、昨日夫と喧嘩をした時のことだった。
些細なことで、と言いたいところだが、実は結構シビアなことで。

一日近く会話らしい会話もなく過ごす中で、意地の張り合いのようになり、途中から本題がどうでもよくなりかけていたことは事実だ。

だからなのか、行き場のなくなった怒りを、夫に対しての怒りというよりは、夫を含めた「男性全般」への怒りに置き換え可能なのではないか、と考え始めている自分がいた。

というのも、昔から夫はお笑いが好きで、小沢昭一氏ではないが、そもそも芸人という職業に対して大変なリスペクトを持っているように思える。
家事や読書の時には必ずお笑い芸人のラジオ番組をつけているし、YouTubeを開けば芸人チャンネルの最新動画チェックを欠かさない。
漫才やコントなどのネタ動画もかなり沢山見ている様子だ。

私は日本語の聞こえるラジオや動画を見ながらでは短歌や俳句を作ったり、本を読んだりすることができないので、正直時々イラッとさせられるのだが、それでも、夫の影響で二年前からお笑いにハマり始め、何人も好きな芸人ができた。
今では夫と一緒にラジオやYouTubeを楽しむ時間も多い。

一緒に楽しんでいると、時々かなり際どいものにも遭遇する。
例えば、ギャンブル、風俗、ゴシップ、下ネタなど、世間一般にはどちらかというと男性ウケが良く、女性ウケの悪い話題を取り上げた動画だ。

「男ってやっぱりいつまでも小学生みたいなもん、仕方ねぇなぁ」と呆れつつも、それほど不快になる訳でもないので、「くっだらなーい」と言いながら結局は一緒に楽しんでいる私。

むしろ中には興味深いものもあって、ある芸人の動画に登場していた風俗店のキャストさんは、同じ女性からしても、たたずまい、物腰だけでなく、語り口は魅力的かつとても知的で、仕事内容を聞くほどにその高いプロ意識には尊敬の念を覚えざるを得なかった。

本当はここで「私が黙ってるからっていい気になるなよ!」、「女性は本来そういうものを不快に思うんだよ!」と怒ってやめさせるべきなのだろうか……そう思ったのである。

それに、私は元来怒れない質だ。
前の仕事でも、感情を抑制し、我慢に我慢を重ねることが美徳と化して、結局大病をした。
仕事を優先したことによって、生理痛、結婚、パートナーとの関係、妊活など、女性ならではの自分の悩みや苦しみをないがしろにして傷つき、傷つけられてきたきた時期もある。

そういった女性としての辛い記憶も全部ひっくるめて、主に男性が作りだしている、女性なら不快に感じるはずのものにNOを突き付けられる人間にならなければならないのだろうか。

……あんまりしっくりこない。

勿論、私が恵まれ過ぎているからなのかもしれない。
妻の前で、ギャンブル、風俗、ゴシップ、下ネタで堂々と笑いこそすれ、自分ではギャンブルもやらなければ風俗にも興味がない夫は、料理や掃除、洗濯など、家の中のことをよくやってくれる。

(もし夫がこうしたものにお金をつぎ込む質の男性だったならば、動画の件にはもっと怒りを覚えていたかもしれない。)

むしろ私のほうが「亭主関白」的で、強情だしワガママだ。

そんな夫にも少なからず欠点はあるが、だからといってそれを「男性だからこその欠点」とひとくくりにして夫にぶつけてしまうとしたら、あまりにも手を広げすぎている。

「男性全般への怒り」が不要だとは思わない。

しかし、少なくとも私たちの夫婦喧嘩においては、夫に対しての怒りと「男性全般への怒り」を混ぜてしまうことで、夫個人に向き合おうとしなくなり、夫婦二人で糸口を見付けられたはずの問題も「男女は分かりあえない」という理論で落とし所もなく強制終了させてしまうことになると思った。

いいなと思ったら応援しよう!

優木ごまヲ/カクエキテイシヤ
🍩食べたい‼️