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私という子供を育て上げることで持ち時間は尽きてしまうのかもしれない
正直プレッシャーだ。
移住モノの本や雑誌を読んでいると必ず目に入る、幼い子供を間に挟んだ仲良し夫婦の写真。
地方へ引っ越す、と報告したら「保育園も入れないような東京なんかで子育てするより絶対地方だよ!」と声をかけてくれる人は多い。
我が家に子供はいない。
まだ、と書いてしまうと窮屈だ。
三十代前半。
すでに一人目、二人目を産んだ友人もいる。
産婦人科では「ともかく妊娠出産は若い方がいいので、三十五才までに一人目でしょうね」と言われる。
もしその通りなら、来年か再来年には妊婦にならなければならない。
しかし、どうしても積極的になれない自分がいる。
将来すら手探りなのに子供どころではない、という思いも強い。
子供ができたら、夫と過ごす時間を邪魔される、という思いも首をもたげる。
私の(あくまでも私の、だ)ベクトルが子育てに向かない理由について、実は、ある一つの仮説を持っている。
それは二十年近く悩まされた生理痛にまつわるものだ。
高校生の頃から生理痛がひどくなった。
毎月の生理は恐怖そのもの。
来るのが怖くてひたすら憂鬱だった。
いててて、程度で済んでいる同級生が異星人に見えた。
鎮痛剤はあまり使ってはいけないと思っていたし、痛みのコントロール方法にもそれほど慣れていなかったので、生理のたび、うめきながらのたうちまわった。
学校の授業中に痛みと貧血にみまわれ、ギリギリまで我慢して保健室に駆け込んだこともあった。
養護教諭から「今は昔と違って良い薬が出ているから、ご家族と相談して産婦人科で処方してもらったら」と声をかけてもらったこともあるが、母には「まだ若いのに薬なんか」と反対された。薬を、というアドバイスは悪魔の囁きだと思った。
田舎ゆえ信頼できる産婦人科が近所になかったことも大きいのだが。
生理痛はまだしも、妊娠出産はもっと大変でもっと痛い、などという情報はなおさら恐怖だった。
恋人もいない頃に無痛分娩の本を取り寄せて読んだこともある。
後に無痛分娩での痛ましい事故に関するニュースを知ってからは、もう八方塞がりだと思った。
就職して初めて産婦人科を受診した。
卵巣のう腫がみつかったのが二十代後半、
治療薬を飲み始め、あんなにつらかった生理痛が嘘のように軽くなったのが、たった一年前のことである。
生理が始まってからの二十年間、私は私の身体で生きていながら、どうしてここまで自分をいたわれなかったのだろう。
私は自分の生殖機能に対し、長いことプラスの感情を抱けなかった。
それには、長い間辛い生理痛に耐え、身体が感じるものを無視して、ひたすら我慢したことが関係しているのではないか。
痛みは恐怖でしかないのではないか。
だから妊娠にも出産にも積極的な思いを持てないのではないか。
自分の身体だ。
あの時母が反対したから、などという言い訳はもう通用しない。
せっかく仕事のストレスから開放された日々なのだから、しばらく自分の感じることと素直に向き合う時間を過ごしてみたい。
喉が乾いたかどうか。
お手洗いに行きたいかどうか。
疲れたかどうか。
好きかどうか。
やってみたいかどうか。
不快感を覚えるかどうか。
痛いかどうか。
つらいかどうか。
楽しいかどうか。
寒いかどうか。
風邪を引きそうかどうか。
つらい、おかしいと感じる物事に、もっと敏感になりたい。
楽しい、嬉しいと感じることに、もっと開放的になりたい。
危うさもある。
私は医療従事者ではないし専門家でもない。
自分の体や心で感じ取ったものだけではなく、情報を集めるなどして新しい風を取り入れ、きちんと頭で考えなくてはいけない。
間違っているかもしれないという視点が必要だ。
自分の感じ方と向き合う訓練は、きっと終わりのない旅だろう。
この先子供を持つか持たないかは不明だ。
もしかすると、自分の感覚に鈍感な私という子供を育て上げることで持ち時間は尽きてしまうのかもしれない。
まあその時はその時だ。
時計は進む。ひたすら前へ。
だとしたら考え込める暇はわずか。
動かしていこう。
今日はここまで。
お読み頂きありがとうございました。
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