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Photo by
moto_sezaki
推しと距離を取るということ
恐れていたことが遂に起きた、と言っても良いかもしれない。
以前、推しにハマるのが怖いという記事を書いた。
何かにハマること、つまり興奮に身をゆだねることは私の中で大きな罪悪感になっており、それゆえ、推しに全身全霊をかけてハマることには恐怖があった。
また別の記事では、推しの炎上未遂事件をきっかけに、推しとはどう向き合うべきなのかを考え、理想像を押し付けすぎるべきでないことに触れた。
今になって考えると、推しにハマることの恐怖の背景にあるものが何なのか、私は本当の意味で気付いてはいなかったかもしれないと思う。
怒涛の一週間だった。
たかが一週間、されど一週間。
次第に落ち着き始めた心で、今日こそこの問題に向き合ってみようと思う。
なお、若干センシティブな問題であることと、有料配信の内容に言及することから、本稿を一部有料とします。何卒ご了承ください。
推しからの報告
その夜、突然ツイッターのタイムラインがざわついた。
原因が何なのかはわからないが、みんなが興奮しているのだ。
ただしその興奮の根底にあるものは絶望ではなく希望であり、喜ばしいことであると気付くのにそう時間はかからなかった。
みんなが喜んでいる。
ある者は泣いている。
絵文字、顔文字がいっぱいにあふれかえっている。
そして「絶対に推しとの約束を守る」という言葉…
どうやら私がノーマークだった有料配信にて、何らかの「事件」が起こったのは明らかだった。
これは以前の記事で、推しの有料配信が「炎上」しかけた時のパターンとまったく同じだった。
次第に、何となくその喜びが何であるのか、勘づいた。
どうして今日の今日までその可能性を打ち消してきたのか、という思いが押し寄せつつあった。
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