八海山の神様のもとへ。パワースポット「里宮」をめぐってみよう
雪国南魚沼に、八つの岩峰を掲げてそびえ立つ八海山。スキーや山登り、日本酒の銘柄としてお馴染みですが、もう一つ、「神様」という顔があること、ご存知ですか?「山には神が宿る。霊的な力がある」。そんな山岳信仰の対象として、古来より、全国各地から信者が集まり、祈りを捧げてきました。もちろん、雪国の人たちにとっても神様のいる山。自然の恵みを与えてくれる象徴として、あるいは収穫を祈って。八海山は、雪国の暮らしに深く、関わってきたのです。
神の山、八海山。確かに、その懐であるふもとへと近づくにつれ、空気がキリリと浄らかになります。それは、3つの登山口にある3つの「里宮」では、いっそう強まります。
そもそも「里宮」とは、参拝客が気軽にお参りできるよう、山のふもとに置かれたお宮のこと。山の頂上にある奥宮、山宮に対する場所で、屋宮が神のいる場所なら、里宮はいわば、神と里の暮らしとの境界にあるもの。大崎口には、火渡りで知られる八海山尊神社、城内口には杉並木の先に八海神社、そして大倉口には一番古い坂本神社。山の豊かさを象徴するかのように、里宮の近くには名水が湧き、浄らかな水を使ったそばも楽しめます。里宮を目指し、パワースポットめぐりをしてみませんか?
"火渡り"で知られる八海山尊神社。「大崎口」の懐に
上る坂道。集落がまばらになってしばらく行くと、ふと右手が開ける。「あそこの広場で、”火渡り"が行われるんですよ」。案内役が教えてくれた。目指す八海山尊神社は、その先にあった。
「よく、いらっしゃいました」。修行僧の白衣に身を包んだ宮司、山田泰利さんが出迎えてくれる。大鳥居の奥にある本殿の一角で、話を聞いた。
八海山のいわれは、飛鳥時代にさかのぼる。中臣鎌足が神託をいただき、六合目に祠(ほこら)を設けたのが始まりとか。修験道の開祖とされている役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)、続いて弘法大師が頂上で修行したという言い伝えがあり、古くから信仰の対象になってきたという。
その後、しばらくは鳴りをひそめるように静かだったが、江戸中期に、様相が変わる。長野県、木曽の御嶽山(おんたけさん)を開いた普覚(ふかん)上人が、大崎村に生まれた泰賢(たいけん)を従えて登拝道を開き、御嶽山の兄弟山とした。これをきっかけに、八海山信仰の霊場が開かれた。
「10月20日に行われる「火渡大祭」は、泰賢さんによって始められたものだそうです」。信者が般若心経を唱え、火の上を歩く行事は、毎年、多くの信者や参拝客を集めている。「ただ、この八海山尊神社は新しく、造営されたのは1979年。里宮から御神体が移されたのをきっかけに創健されましたが、昔から変わらず、山が神様なんですね」。現座でも、遠くからお参りに訪れ、ひざまずいて涙する信者もいるという。
おもしろい話を聞いた。八海山はかつて、女人禁制だったという。なぜかといえば、「山は女の神様だから」とか。「女性が入ると嫉妬する」とも言われ、逆に、男性が山に向かっておしっこをすると、喜ぶ、とも言われていたそうだ。
「さて、里宮を案内しましょう」。里宮とは、山のふもとに置かれたお宮のこと。これに対して山の頂上にあるのが奥宮、山宮と呼ばれる。里宮は、参拝客が気軽にお参りできるようにと、開かれたもので、八海山には3つの登山口それぞれに、里宮があるという。八海山尊神社の奥にある里宮は、最もポピュラーな登山口である大崎口にある。
大崎口の「里宮」は苔むして厳かな雰囲気
宮司の山田泰利さんに先導されて八海山尊神社の奥へ行くと、森閑とした中に一面、苔むした風景が広がっていた。「すごい、きれいですね」。思わず声が上がる。「まさか、神社の奥に、こんなところがあったとは」。山田さんによると、この里宮がまず開かれたという。「苔がすごいでしょう? 専門家に見てもらったら、いろいろな種類の苔が生えていて、実に植生が豊かなんだそうです」。確かに、よく見ると、形が大きさ、色が微妙に異なっている。そばに川が流れ、しっとりとした空気に包まれるこの環境も、苔には理想的なのだろう。
ふと見ると、小さな洞穴がある。聞くと、泰賢行者が、八海山開闢(かいびゃく)の際、3年間、塩断ち、穀断ちをした場所だという。「泰賢行者の霊窟」。「木食」という名を冠した通り、生涯を布教と木食に捧げた祖師を称えて、ここに手をあわせる参拝客も多いという。
「あちらが、お滝場(たきば)です」。宮司が、滝行する場所を教えてくれた。里宮不動滝、という名前の滝で、大寒からの節分までの7日間、雪が積もる中で、修行者たちが祈祷を行うという。滝の上には剣の形をした石。こちらは、力の源を示し、同時に、悪を断ち切るという意味合いがあるという。「神聖な雰囲気がありますよね。こうした雰囲気も、寒修行が繰り返されてきたことで、自然と生まれてくるものではないでしょうか」。
意外な神仏習合(しんぶつしゅうごう)のことを、教えてくれた。滝行は20分ほど滝に打たれるが、終わりに般若心経を唱えるのだという。それを話す住職の語り口も、頓着ない。「浄めを求める人は、だれでも受け入れる」そんな懐の広さが感じられた。
「南魚沼には修験僧が多かったと聞いています。暮らしと密着して、人々の手当てをしたり、加持祈祷をしたり。そういう人たちも、もともとは八海山にやってきた山伏(やまぶし)なんでしょうね」。自然豊かな地として知られる雪国の、もう一つの顔が見えた。
帰る足で、大前(おおさき)神社に寄った。こちらには魚沼連峰からの湧水が湧き出ていて、その名は「大崎滝谷の水」。うがい鉢で汲み取ることができ、地元で有名な伝統野菜、大崎菜の栽培にも利用されているという。神社の拝殿に行くには、何段もの階段。さて、もう一息、行きますか。
城内口の里宮「八海神社」。宮司とそば店、二足のわらじ
八海山の登山口の一つ、「城内口」の里宮、「八海神社」を目指した。手前、一ノ鳥居からは、250本以上の杉の木が400m以上、参道の両側に続く。樹齢は180年から250年。幹回りは最大で6mはあるという大木に囲まれると、自然と心安らぎ、天を目指すまっすぐな姿につられ、背筋が伸びるようだ。
八海山の城内口、一合目に置かれた八海神社は、比較的新しい。祀られているのは、八海山開闢(かいびゃく)した普覚(ふかん)行者。「八海山中興開祖」として、神社の奥に鎮座している。
城内口は、かつての城内村にあり、「西表口」とも言われたという。八海神社のすぐ手前には、社務所だった建物があり、現在は「八海会館」の看板を掲げ、そば屋として営業している。「社務所だった名残が、奥の広間にあります」。店主の村山次郎さんに案内されていくと、広間の一角に神殿。雪に埋もれる冬の間は、かつて、こちらで祈祷が行われていたという。祈祷していたのは、宮司である村山さんのお母さんだ。
「宮司とそば屋の兼業です」。意外な二足のわらじである。かつて、近所にそば打ちの名人がいて、村山さんの祖父が教えてもらい、社務所で提供を始めたという。「珍しいことではないらしいですよ。県外には、神官とみかん農家を兼業されている方もいるそうです」。村山さんは、祖父からそば打ちを受け継いだ。
早速、「天ざるそば(1,250円)」をいただいた。そばは二八(にはち)。メニューを見ると、そば粉と小麦粉を8対2お割合で混ぜ、つなぎは、布海苔とオヤマボクチ、とある。「オヤマボクチ?」。聞き慣れない名前だが、ヤマゴボウのことで、この葉っぱを混ぜることで、シコシコとした食感が出るという。
一口。なるほど、コシがあって風味もいい。天ぷらが豪華だ。ツルナ、八色(やいろ)シイタケ、ズッキーニ、ナス、サツマイモ。季節によって変わり、自家産の旬の野菜のほか、春にはウドの葉など山菜も加わるという。さらに平日には、自家産コシヒカリの一口ご飯も!やはり自家製という南蛮みそを載せていただくと、最高だ。
「山の中では、そばがごちそうだったんでしょうね。昔は信者が多かったけれど、近くにスキー場がオープンしてからはスキー客も増えました」。続けて村山さんは、「そば打ちは受け継ぎつつ、自分の代になってから、細目に切るようになった。細いのが好きなんですよ」と打ち明けた。
帰り際に玄関を見ると、看板が目に入った。「八海そば そばを食べて長生きしましょう」とある。神社のすぐそば、昔のやり方そのままで、自家産野菜をたっぷり使って。確かに、命が少し、伸びた気がした。
帰りがけ、名水に寄った。「雷電様の水」と呼ばれる清水で、その昔、雷電様を祀ったところ、落雷の被害がなくなり、その傍らからコンコンと清水が湧き出てきたという。今でも、藤原神社の境内の一角から、湧き出ている。やさしく、やわらかく、甘みさえ感じるこの水は、銘酒「八海山」の仕込み水にも使われているという。八海山、その懐は、奥深い。