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生きてることと死んでくこととと。

「今言えること それはなんだろう
生きてることと 死んでくことと
それくらいです
他にも何かないかと思いまして歌を歌ってるわけです」

これは、RADWIMPSの「ます。」という曲の一節。

話は変わるけれど、数年前、プラネタリウムへ行った。昔から星を眺めるのが好きで、地元にいた頃は庭で夜空を見上げたり、家族でプラネタリウムに行ったりしていた。

社会人になってからは初めてのプラネタリウム。その丸い天井には、季節の星座や宇宙の様子なんかが映し出されていた。久しぶりに眺める宇宙は、壮大だった。星座の話も面白かったけれど、宇宙の成り立ちを見ているのが楽しかった。ワクワクした。

何万光年、何億光年という遠い場所から、長い長い時間をかけて届く。今ここで見ている光は、そんな遠くのずっと昔のものなのだ。

その間、地球上の生物は、生まれて死んでいくことを繰り返していた。人間もそう。生まれて死んで、また生まれて…。今こうして昔々の宇宙の光を見られるのは、人類が子孫を残し続けたからなのだ。

そう考えると、この広大な宇宙の中で人間ができることなんて、子孫を残していくことくらいしかないんじゃないか?

そんな風に感じた。

宇宙に比べたら人間なんてちっぽけだ…なんて使い古された言い回しだけれど、事実なのだ。人間なんて、遠く遠くの宇宙から見たら、目にも見えないほど小さい。

そのとき私は理解した。「そうか、いま私が抱えている悩みなんて、ちっぽけなんだ」と。この悩みはとてもとても、小さい。

生まれたからには何か成し遂げなければならない、なんて考えていた当時の私にとって、その理解は大きな発見だった。なんだ、私は何も成し遂げる必要なんてなかった。

「目標を持って生きよう」とか「人の役に立つことをしよう」とか言われてきたことはあくまで生き方のオプションであって、使命でも役割でもなんでもない。何もしなくたって、この世界に影響はないのだ。

ほかの人の人生を奪うようなことはしてはいけないけれど、そうでなければ好きに生きていいのだ。死ぬまで、好きに生きればいい。人間の人生なんて、そんなもんだ。

そう気付いた瞬間、ふっと心が軽くなって、不覚にも泣いていた。プラネタリウムで良かった。周りは真っ暗で、私の涙なんて誰にも見られない。宇宙もそうだ。私のことなんて、誰からも見えない。

* * *

はじめの歌詞に戻ると、つまりは「いま生きていて、いつか死ぬ」ということ以外には何も言えないのだ。それで「歌を歌う」ということを選んだ。そんなもんなのだ。

必死に何かを探したり、何かを成し遂げる必要なんてない。生きてることと、死んでくことと、それ以外に何か楽しそうなことがあれば、それをやって過ごせばいい。

生き方にマニュアルも決め事もない。好きに、生きればいい。

ユキガオ

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