美しい言葉を使いたい。
日本語は、美しいけど難しい。
同じものなのに色んな言い回しがあることや、「てにをは」が正しく使われていないと意味が通じなくなること、相手と自分との関係性で言葉を変えなければならないこと…
正しく書こうとしたり話そうとすれば、気をつけるべき点はたくさんある。普段、私たちは無意識にそれらを考えている。
だけど、たまに妙な日本語を使う人がいる。なんとか意味を汲むことはできるけれど、違和感を覚えるのだ。
言葉のチョイスが変なのか、てにをはが上手く使う使われていないのか、そのどちらもなのか…とにかく気になってしまう。
文章の構成だとか論理展開だとかは、また違った能力が必要だけれど、一文だけならもう少しハードルは下がるばずだ。
そのたった一文さえもうまく作れない人を見ると、とても残念だなと思う。きっと今まで、あまり本を読まずに生きてきたんだろうな、と。
本をたくさん読む人は、言葉が上手く扱えるようになるだけでなく、感受性が豊かだったり思慮深くなったりする。そういう人が、私は好きだ。
だから、本をあまり読まずに言葉を雑に扱う人が苦手で、できるだけ関わりたくないとさえ思う。ブログやnoteでも、そういう雑な言葉遣いをしているものを見るとすぐに閉じてしまう。
言葉に対する意識が低いのだ。言葉がどれだけ人を喜ばせたり傷つけたりするか、知らないのかもしれない。生きる上で言葉を美しく使うことは、それほど重要でないと思っているのかもしれない。
ここで言う「美しい」とは、「正しい」ということだ。流暢であり、相手に不快感を与えないということだ。
これは非常に難しい。完全に使いこなせる人など、日本にも数えるほどしかいないだろう。
それでも、美しい言葉遣いをしたいと思う意識があれば、もっと言葉を知ろうとするし日々進歩する。努力次第で、少しずつ美しくできるものだ。
かくいう私も、言葉を専門として生きてきたわけではないので、まだまだ間違っていたり美しくない言葉を使うこともある。
だけど、少しでも美しい言葉遣いをしたいといつも思っている。読む人の心にすっと入るような、そよ風のような。それでいて時には胸を打つ雷のような、そんな言葉を紡いでいけたらいいなと思う。
ユキガオ
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