雨の日に思うこと。
車のワイパーを止めていると、フロントガラスが雨に埋め尽くされて、だんだん視界がぼやけてくる。まるで、プールの中で目を開けた時のようだ。
私はよくワイパーを止めて、雨のフィルターがかかった視界を作ってみる。ついさっきまでクリアに見えていたものが徐々に不鮮明になっていく。目を凝らしても見えないのは苦痛なんだけれど、それが少し気持ちよかったりする。
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世の中には、少しくらい見えなくていいものもある。あんまりクリアに見えすぎると、逆に苦しくなることもあるからだ。あえて見ないようにすることで、心が楽になることがある。
だけど、見なくなると、それが当たり前になって、本当に見えなくなってしまう。
相手が自分のことをどう思って何を考えながら接しているのかなんて、実は見えない方が気が楽だから、ただ表面をなぞるだけのコミュニケーションになる。
それは相手が自分にとってどうでもいい人なら構わないが、自分にとって大切な人である場合は問題だ。表面だけを見ていたら、決して心の奥でつながることができないのだから。
心の奥底を見るのは怖い。「見なければ良かった」と思うことだって、見てしまうことになる。一度見たら、もう見なかったことにはできない。自分の心の中で、上手く処理するしかなくなるのだ。
その処理作業がとても厄介で、とても疲れる。途中で投げ出したくなる。それでも、その処理を上手くやれれば、人と人はもっと強くつながることができし、自分自身のことももっと理解できるようになる。
何でもかんでもクリアにすればいいってものではないが、わざと視界をぼやけさせて見ない振りばかりしていても、何も手に入らないし、同時に危険なことでもあるのだ。たまには心にワイパーをかけるような作業が必要なんじゃないかと思う。
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久々の雨で気分が沈んで、過去の過ちを思い出していた。表面的に付き合うことが大人なんだと勘違いしていたあの頃。本当は、相手と真剣に向き合って傷付くことから逃げていただけだった。
傷付くことを恐れない強さ。それを持っていることが本当の意味で「大人」なんじゃないかな。そんなことを思う雨の日。
ユキガオ
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