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心が残り続けますように

可憐に咲いた花を見て、美しいなぁとドキドキする。
青々と茂った山を見て、その力強さと生命力に涙ぐむ。

そんな感傷的で感受性が強すぎる自分が嫌になることがある。

「たったそれだけのことで感動するの?」
「そんなことでいちいち泣くの?」

そう思われる気がして怖いから。私以外の誰も、そんな風に感じてるわけじゃないって知ってるから。

それでも、ふとした瞬間の自然の美しさ力強さに心を打たれてしまう。無意識に。

仕方がないから、自分の心にそっと留めておく。美しかったなぁ、エネルギーをもらえたなぁ、と。

だけど芸術を学ぶようになって、「これでいいんだ」と思えるようになった。

芸術は表現である。表現の仕方が違うだけで、根本には「何かを形にしたい」という強い想いがある。

この「形にしたい」という想いは、何も感じず何も考えずに過ごしていたら、決して生まれないものだ。

表現したい何かへの執着が強いほど、エネルギッシュで狂気的な作品ができる。

作品にエネルギーが宿れば宿るほど、それは「物言う静物」になる。誰かの心をぐっと惹きつけるものになる。

だとしたら、私が普段何かを感じ続けていることにも意味があるんじゃないかと思えるのだ。

たとえ妙なタイミングで泣いたり笑ったりしてても、それがいつか私の作品に繋がっていく。

そう思うと、この感受性も大切にできる気がする。

* * *

私は私の作品が、誰かの心に話しかけてくれたらいいなと思いながら作ってる。

陶器って、何世代も受け継ぐことができるもの。何十年も残すことができるもの。

もし私が死んでも、私が作ったものはこの世に存在し続ける。

そう思ったら、もっともっと私の分身を作りたいなと思う。私が死んでも、誰かの手元に私の心が残るように。

…なんてことを考えてまた涙ぐんでる私は、やっぱりどこかのネジが外れてるかもしれないなぁ。

ユキガオ

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