嫌いになる弱さ。
私は簡単に人を嫌いになる。
嫌いになる基準はいくつかある。まず、匂いや言動が生理的に受け付けない人。これは申し訳ないけれど、どうしようもない。遺伝子レベルで苦手なのだ。
敵意を持って接してくる人もダメだ。その敵意を敏感に感じ取ってしまって、いちいち傷付いてしまうからだ。そもそも敵意がある時点で、おそらく私のことが嫌いなのだろう。その事実がすでに不快なので、できるだけ自分の視界から外しておきたい。
この2つの理由はまだいい。ただやっかいなのは、私の居場所を揺るがすような人を嫌うときだ。こういう人は、嫌うというより「敵」として認識してしまう。ライバル、とも言えるかもしれない。
たとえば、恋人が元カノと連絡を取っていたとする。そこにやましいことがなかったとしても、元カノは私にとって「恋人」という居場所を奪いかねない「敵」だ。私に危害を加えていようといまいと、関係なく嫌いになる。
仕事なんかでもそうだ。新しく入ってきた人が自分と同じ仕事を担当するとき、これまでに作った私の居場所を奪われるんじゃないかと不安になる。その不安が当たりそうになると、私はその人を嫌いになる。なんとも単純だ。
だけど、敵視するパターンの嫌い方は、実は理不尽なのだ。相手には悪気はない。むしろ好意的な場合さえある。それなのに、こちらから一方的に嫌いになって、無愛想に接してしまうのだ。相手にとってみれば、事故のようなものだ。
敵視する心境の裏側には、弱さが隠れている。自分に自信がないから、居場所を奪われやしないかと不安になっているのだ。弱いからこそ、威嚇して身を守ろうとする。それは、自分の弱さから目をそらして心に蓋をしているだけなのに。
つまり、理不尽に人を嫌いになるときは、もっと自分が努力すべきときなのかもしれない。自信をつければ怖いものなんてないのだから、誰かを恐れて嫌いになる必要もない。
人を嫌いになるたびに、なんとなく自分の心がどす黒くなっていく感じがしていた。それは、自分への自信のなさが、心の澱となって溜まっていたからなのだろう。
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こうして人を簡単に嫌いになるくせに、実は人に嫌われるのがすごく怖い弱虫。どうか皆さん、嫌いにならないでいてくださいね。(エッセイ書けば書くほど、嫌な人間だということがバレていくけれど…)
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