「幸せな家庭を持ちたい」という夢の尊さよ
それは、あまりにも清々しい宣言だった。
「俺は、結婚して幸せな家庭を持つのが夢やねん」
私よりずっと年上のその男性は、なんの迷いもなくそう言った。
* * *
何かにつけて“多様性”が声高に訴えられ、世間に染みついた“当たり前”が変えられていくのを目の当たりにする。
結婚という慣習も、変えられようとしている“当たり前”のひとつだ。
「結婚するのが当たり前」
「女は家庭に入って子供を育てるのが当たり前」
そんな主張は前時代的だ、と淘汰されつつある。結婚なんてしてもしなくてもいい。結婚しても共働きしたっていい。子供を作るかどうかも夫婦の選択。
確かにその通りだ。時代は変わった。高度経済成長はとっくに歴史の一ページだ。
女だろうが男だろうが、好きな仕事をすればいい。他人に指図された人生を歩むなんて、ナンセンスだ。
* * *
「好きなことをして生きたい」と願い、安定していると思しき生き方を辞め、ちょっと危うくてそれでいて魅惑的な“フリーランス”という道を歩み始めた私にとって、多様性に寛容な世の中はやさしい。
「そんな生き方もあるよね」と一言で片付けてもらえるから。
そこには「多様性を認めなければ時代遅れだと思われてしまう」という相手の深層心理が見え隠れするけれど、それでも面と向かって「そんな生き方はありえない」と否定されるよりずっとマシだ。
いつも何か新しいことをしたくて、自分のワクワクすることばかりを追いかける私にとって、いつしか“結婚”というものは遠い存在になってしまった。
今の道を選んだことで余計に「こんな生き方をしてるから」という言い訳が頭の中に居座る。
こんな生き方をしてるから、恋愛をする時間がない。
こんな生き方をしてるから、結婚なんて考えられない。
そう言い聞かせて、“結婚”というものに近寄れない自分を肯定しようとした。自分の本心なんてものは、とっくに見えなくなっていた。
* * *
「結婚して幸せな家庭を持つのが夢」
そう言った男性を、私は「信じられる人だな」と思った。もっともらしい言い訳を並べて結婚を否定する私よりずっと透明だな、と。
そして「この人の夢が叶ってほしいな」と。
勝手な願いなんだけれど、多様性とか新しい時代とかそういう言葉に惑わされず自分の願いを貫いていてほしい。
もしその人がすぐに結婚できなかったとしても、ずっと「幸せな家庭を持つのが夢やねん」と言っててほしい。
価値観なんて人それぞれでいい。
「そんな考え、今どき古いよね」なんて言って自分の気持ちに蓋をしてしまっては、元も子もないじゃないか。
誰かに強要しない価値観は、その人の個性だ。
まっすぐで清々しいその人の夢を聞いて、そう思った。
「素敵な人と結婚して、幸せな家庭を持ってくださいね」
私は心の中でひっそりとつぶやいた。
written by. ユキガオ
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