私の体もいつかは動かなくなるから。
少し早いけど、『勝手に夏休み』を作って地元に帰省した。
故郷を出て、早10年ちょっと。
地元が恋しくなる回数も旧友たちと会う回数も、数年前に比べると随分減った。
そんな私が地元に帰る大きな理由は二つ。
一つ目は、母親に会うこと。年齢を重ねるごとに寂しがるようになった母親に、顔を見せるのがまず大きな目的だ。
そして二つ目は、祖母に会うこと。これには、母親に会うのとはまた違う理由がある。
人が目の前で老いていく
祖母は数年前に自宅で転んで頭を打った。その際に骨折もしてしまい、それ以来体が不自由な状態にある。
「高齢者で一番怖いのは、歩けなくなることかもしれない」
そう思ってしまうくらい、うまく歩けなくなった祖母はみるみる衰えていった。
筋肉が落ちるのはもちろん、食も細くなり、物忘れもだんだん起こるように。
年に2回ほど帰る私は、目に見えて老いていく祖母を見て、いつも泣きそうになる。
「あぁ、こうやって人は老いるんだろうか」
そんな客観的な目線と、うまく説明できない感情とが入り混じって、冷静な顔して目頭が熱くなってしまう。
祖母の思い出と願い
祖母は厳しい人だった。私も母もよく怒られた。
そんな祖母が作る料理はどれも懐かしい味がして美味しかった。
祖父は私が中学生の頃に亡くなったけど、当時の祖母は気丈に看病していて、「やはり女は長生きするんだな」なんてぼんやり思っていたものだ。
そんな祖母もいつしか弱気な発言をするようになり、私が帰省するたびに「死ぬ前にゆきちゃんの花嫁姿が見たい」などと言うようになった。
冗談めかした本気の願い。
昔ながらの人だから、「女の幸せは結婚だ」と信じてやまない祖母。それはひとえに、私の幸せを願っているということ。
以前の私にはその言葉がいつも重かったけど、できれば叶えてあげたいと思うようになっていった。
だけど今回、また一層年老いた祖母を見て「もう叶えてあげられないかもしれない」と、申し訳なさが込み上げてきた。
未だに独り身の私が、祖母の前でウエディングドレス姿を見せてあげることはたぶん難しい。
大好きな祖母の願いを叶えられない自分が不甲斐ないし、ただただ申し訳ない。
そんな気持ちで、また不覚にも祖母の前で涙が溢れそうになった。
今の私は私で幸せなんだけど、目に見える形で祖母の願いを叶えたかった。
まだ祖母は生きてるし、きっとまだまだ生きててくれると思うけど、なんだか不安ばかりが胸に押し寄せてくる。
今の私にできるのは、少しでも長く祖母が生きてくれるよう願うことだけ。
そしていつかは自分も
そうやって祖母が老いることを不安に思う一方、「いつかは私もこうなるんだ」と自覚せずにはいられない。
体の自由が奪われ、自分一人でできることが減り、だんだん赤ん坊の頃のように戻っていく。
年々、月日の経つのが早く感じるようになった。
30歳がこんなに早く来るなんて思わなかったし、きっと10年後はもっと早く来るんだろう。
そうしてるうちに私も祖母と同じ歳になっていく。
陶芸をすることも、文章を書くことも、旅をすることも、きっとできなくなっていく。
できなくなるまでは、あっという間だ。
あっという間に私の人生は終わる。
それなら今できることを、今のうちにやっておきたい。今しかできないことを、まだ体が動くうちに。
やりたくないことに時間を割いてる暇はない。
「これもやってみたかった」と言いながら、車椅子に乗って「そんなの無理ですよ」と諭されるのは目に見えている。
いつか体が動かなくなる日まで、体が動く間しかできないことをしていたい。
祖母に会うと、そう強く思わされるのだ。
祖母に生きていてほしいと願いつつ、今できることを精一杯やらねば、と決意にも似た想いを抱く、帰省からの帰り道。
さぁ、この瞬間から何をしようか。
まだ自由に動く、身軽なこの体で。
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