だって好きだから!
出版にいる友人3人と食事にいった。彼女の夢が叶う一助になればと友人を紹介した。遊びがなくなったら終わり、とか、ただ(本に)恩返しがしたい、とか好きなことを感性に任せてやっている人たちでほっこりしたり感動したり。素敵な夜でした。
わたしも高校の頃までは文学少女だったな、と思いながら。友人が、好きだから出版にいるんだ!金が欲しかったらこんな仕事しない!好きなんだーー!って叫んでいるのを見て、わたしは好きなことをしていないから歪んできてるのかな、とふと思う。好きなことを勝手に諦めたのは自分なのに、しがみついてるのだろうか。
父親よりは稼ぎたいと思って。文学や音楽や歴史だと勝てないって思ったんだ。割り切れる人もいるのかもしれないし、自分も割り切っていると思っていた。でも身体が悲鳴をあげていたみたい。仕事がこんなに好きだと思っていたのに、ただ考えないために死にものぐるいで働いていただけなの?楽しいと思っていたのに違っていたのだろうか。いい加減長くない?それぞれ事情があるんだろうし、別にいいんだけど、しょうがないよね、といいながら促されるがままに質問に答えていくと、心理士からは、幼少期の体験は戦争体験者と同じレベルのトラウマを脳に刻み込むと考えられている、だから別によくなんてない、仕方なくなんてない、と言われた。そうなんだ(とはいえ、アフガンやら中東やらに行っていた友人たちの話を聞くととてもそうは思えないけど、と思う自分)。そんな昔のことにひきづられるなんてダサいな、と思うものの受け入れるのもまずは大事だよね。
周りの人が幸せだとなんだか自分も幸せな気持ちになるけど、自分は幸せになるのって少し怖かった。別に幸せでも楽しくてもいいんだね。というかそうじゃないと意味ないって人に囲まれてたのにこの波に乗らないでどうするんだ、って書きながら考える。
少しずつ好きなことだけを増やしていけるのだろうか。また自分が壊れないように。少しずつ。次の20年かけて生まれ変わろう。