読書記録「白銀の墟 玄の月」
今回は私の好きな本について書きます。
「白銀の墟 玄の月(全四巻)」は小野不由美さんによって書かれた十二国シリーズの最新作で、長編ファンタジーです。
私はこの十二国シリーズが大好きで、何度も何度も読んでいます。
何がそんなに面白いのか、私なりに考え再発見したことも踏まえ、今回は紹介します。
①十二国にある確固たる摂理(システム)の存在
十二国には私たちの住む世界とは異なる摂理がある。
その最もたるものが、民意の具現である麒麟が天の意を介して王を選定すること。「天」が存在し、天が人間の世界に介入しているということ。
「白銀の墟 玄の月」では、その摂理の穴を突いて戴国の玉座を掠め取った阿選から王と国を救い出そうと泰麒(戴国の麒麟)と李斎。
十二国では、摂理に反したときに麒麟が病になったり、国が荒廃したりするし、王がいなくなれば、天が麒麟を介して新しい王を据える。
戴は摂理が動いていない状態(王も麒麟も身罷っていない)であるにも関わらず、王が玉座におらず、偽王(阿選)が国政を放棄しているがために国が荒廃している。
このシステムを上手に利用して、泰麒は彼に出来ることを一つずつやっていく。
この作品に摂理があることが、面白さの一つだ。
私たちの住む世界は、このような絶対的なシステムはない。
だからこそ、すぐに目に見えて荒廃することがないために、目に見えるようになってからではなかなか厳しい状態になっていたり、中身が腐敗していても、それを強制的に挿げ替えるものがないので、なかなか変わっていかないものがある。
この作品ではないが、「天があるということは天も間違えることがある」と言っていた登場人物(陽子)がいる。
しかし、現実には天は存在しないゆえに、自由はあるが、また間違いなどないという考え方も出来るのかもしれない。
つまり、捉え方次第で、何事も「正しいこと」であるのかもしれない。
価値観の違いという方が適当かもしれない。
②登場人物の魅力
十二国記シリーズに出てくる登場人物は、人間臭い人ばかりだ。
各個人が自分の信条を持ち葛藤したり、目的のために行動したり、物語の中の人物けれど、生々しくて人間味を感じる。
だからこそ、彼らと一緒に成長していけるような感じがするのだ。
ただ、この作品では、成長感を感じることよりも、登場人物たちの逞しさや人間臭さを感じることが多いように思う。
特に泰麒は、これまでのシリーズで見てきた姿とずいぶん違う印象を受けるのではないか。
「風の海 迷宮の岸」では、泰麒は純真無垢な可愛らしい雛麒麟の印象が強い。
今回の作品で感じた、泰麒の逞しさや大胆さを「風の海-」でも垣間見ることが出来るが、
今回の作品では、純真無垢な可愛らしい泰麒はもうどこにもおらず、
冷静で大胆で頭脳戦をする逞しさを持った麒麟になっていた。
泰麒の成長にさみしさを感じることも多少はあるが、彼が彼として出来ることをやっていく姿は成長と清々しさを感じる。
③テーマの重厚
今回再読して新たに発見したことがある。
それは、「決めつけ」「先入観」「思い込み」が一つのテーマであるのではないかということだ。
実は先日妹と面白かった本について話をしていた時に、妹が「青い瞳」は決めつけがテーマになっているんじゃないかと言っていた。青い=未熟な、という意味があることからも、見方や捉え方が未熟だという意味かもしれないねと派生し、そう言えば、今私が読んでいる「白銀のー」も「決めつけ」が一つのテーマになっているじゃないかと思ったのだった。潜在的に考えていたことを言語化する作業が今回初めてなので、まだまだ抽象度が高い部分もあるかと思うが、悪しからず。
麒麟とは民意の具現で、常に民のことを考えている慈悲深い奇蹟的な存在であり、血を厭うために殺傷は出来ない。また、奇蹟的な存在であるゆえに、存在そのものが尊いと作中のほとんどの人々は麒麟をそのように捉えている。
だからこそ、その「決めつけ」「先入観」を泰麒は逆手に使ったのだし、泰麒に対するそのような決めつけを持たない耶利は泰麒の振る舞いを見て、泰麒が何を考え行動しているのかを見抜いた。
決めつけや先入観・思い込みは、自分にとって解釈したいように物事を見ることに繋がる。これはこういうものだからこうだ、という一種の思考停止に繋がったり、こうあるはずだからこうしないはずだと相手の言動を異なる捉え方をしてしまったり、相手に真意を確認しないがために気持ちの掛け違いを生み屈折した感情を生んでしまったりするのかもしれない。
「決めつけ」「先入観」「思い込み」はもしかすると私たちの世界で言うところの「常識」「決まり(ルール)」「習ってきたこと」なのかもしれない。
意識をしないと、こういったものたちに縛られていること・思考を制限されていることに気づかない。しかし、その眼鏡をつけずに物事を見ることが出来ると、本質が見えてくるのかもしれない。
決めつけや固定概念を持っている人たちに対するには、敢えてそれを利用することが一つの策略なのだなと感じつつ、物事を俯瞰で見られるようにいたいものだなと、そんなことを思いながら、読んだのであった。
長々と書いたが、控え目に言っても、十二国シリーズは本当に読み応えがあって面白い。
そして、本はその時の自分の感性や考え方をあぶりだすものでもあり、読むたびに発見があって好きだ。
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