生きることが辛いという事を伝えるハードルの高さ
この数ヶ月
身体の痛み止めも効かない程特に
辛い。
今の精神科に通い出して何年経ったかな
前のところは
私とは相性が合わない気がしたので
変えたのだけど。
その前に通ってた病院の先生を悪く言いたいわけではないけど
痛みで辛いとか言っても
「専門外なので…」と言われてしまってた。
まあ、そう言うスタンスの先生だったと思えばいいだけだと思う。
今の主治医になってから
いろいろ変わったなぁ。
発達障がいのことも
理解してくれる先生で
身体が痛いと言っても
わからなくても
歩み寄ろうとしてくれる先生。
そんな先生に
私は
何年か通って
やっと
主治医に
ついこの前
(今月のこと)
この言葉を言えた。
身体が痛過ぎて
生きてるのが嫌だと思ってしまう…
と
この言葉を。
主治医は、
静かに
うなずきながら
聴いてくれてた。
先生は
少し黙って
こう言ってくれた。
音楽聴いてる時とか
絵を描いてる時は
もしかして
痛みはそんなに強くないんじゃない?
それなら1秒でも痛みを軽く感じられる瞬間を
つくるトレーニングを
少しずつしていけたらいいね
難しいけど
少しずつ…ね。
と。
誰かが
自ら
命を絶つと
友達がいなかったんだろうか?
とか
どうして周りに言えなかったんだろうか?
そういう事を言う人がいるけど
生きている事が辛いと言う事を伝えるって
本当に本当に
難しいんだよ。
伝える事が怖いんだよ。
生きることに
疲れてるからこそ
言葉にすることも
嫌になるんだよ。
誰もがみんな
苦しみを抱えてて
追い詰められれば追い詰められるほど
この苦しみを抱えててるのは
自分だけと思ったり。
そういうことを言えずに
明るく振る舞う事が上手い人ほど
もっと苦しんでる人がいるのに
自分が苦しいなんて言っちゃいけない
そんなふうに思ってしまうんだと私は思うし、
少なくとも私はそう考えてしまう。
たとえ、友達が何人いようと
いえないこともある。
関係性にもよるけど
仲が良く
普段から
笑い合うのが当たり前の
関係性なら
仲が良くても
仲がいいからこそ
弱みを見せられない。
友達がいるとか
いないとかじゃ…
解決できない事もある。
一人の人間は、
極限まで苦しんでる人を
救えるほど力はないんだと思う。
それくらい
他人の苦しみは
計り知れないものだと思う。
私は昔、生きているのが辛いと
二十歳を過ぎた頃
ふと口にしてしまった時
もっと苦しんでる人がいるんだから
そんな事軽々しく言っちゃダメだよ
と言われて
それからは我慢してる
痛みをわかりある人には言う事もあるけれど。
でも、
私は
そういう事を打ち明けてくれる友達がいたら
私ができるだけ
心を寄せたいなと思う。
それがどれだけ勇気のいることか
想像できるからこそ。
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