つっこみどころ満載の防衛三文書(2022年12月執筆)

2022年12月に日本政府は、いわゆる防衛三文書、すなわち「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」、「防衛力整備計画」を策定しました。時代に即して戦略を改定することは悪いことではありません。

意図としては、同盟国アメリカの力の衰退を鑑み、国際情勢が「複雑」になってきたので、日本も自力で防衛力を高めたいとあります。もっとはっきり言えば、アメリカが相対的に衰えている一方、中国、ロシア等が米欧中心の国際秩序に挑戦するようになり、多極化世界に向かって動く中、不確実性が高まったため、自力の防衛力を高めたいというところでしょう。はっきり同盟国が衰えていると書けないからでしょうか、変に忖度した結果分かりにくい表現となっています。

生煮えの日本外交方針
では中身を見てみましょう。防衛三文書では最高位と位置付けられている「国家安全保障戦略」には、外交力が日本の国力の主要素の筆頭であると書かれています。そして、同盟国や「同志国」との連携を深めていくとあります。

「同志国」の定義も国名もないので、何とでも解釈できてしまうのですが、「同志国」を英語版で探すと、Like-mindedと書いてありますので、考えが同じ国という意味合いだと分かります。また、前後を読むと同志国の範疇に入りそうなのは、アメリカの同盟ネットワーク(NATO、AUKUS等)の加盟国である西欧、カナダ、オーストラリア、韓国に台湾のようです。一方、中国とは是々非々主義、政経分離で付き合いたいようです。

当文書ではエネルギー安全保障や食料安全保障も大事と書いてあるので、中東を始めとする産油国や食料輸出国が本来考慮されていて然るべきなのですが、上記記載の国々だけが実質日本政府の視界にあるように思います。概要の方には「同志国」は一国でも多くほしいようなことを書いていますが、そんな視界でしかないのなら難しいでしょう。外務次官より駐米大使の方が偉いと考えているような外務省では致し方ないのかもしれませんが、もはや世界は外務省が考えるよりもアメリカ中心で動いていないことを早く悟ってほしいものです。

視野が狭すぎることに加え、中国の付き合い方ももう少し深く検討すべきだと思います。以前お話しました通り、米軍を以てしても中国と戦えば勝利は覚束ない見込みである今日、選択肢としては中国を味方にする方法を考えるか、どうしてもアメリカの対中敵視に追随するなら、もっと味方を増やすか、または両方を考えるべきでしょう。

例えば、国境問題及び印パ問題でパキスタンに接近する中国をけん制したいインド、南シナ海の内海化を目論む中国をけん制したい東南アジアの海洋諸国、中国国内の親戚部族のウィグル族への虐待を快く思っていない中央アジア諸国やトルコ、イランへの支援を問題視しているサウジアラビアを中心とする中東諸国等をうまく取りこめることができれば、緩やかでしょうがそれなりに意味のある対中包囲網ができます。

加えて、中国も経済が輸出依存体質ですから、中国製品を輸入してくれる先進国がどうしても必要です。産油国ロシアのように完全に欧米諸国に敵対することはできません。中国自身もどこかで関係修復、あるいは信頼関係の醸成のための落としどころを模索しているはずです。今後それぞれの政治スケジュールによって、米中とも強気に出ないといけないタイミングはどうしても発生します。そうした緊張を緩和する役割を果たした経験があるのは、日
本くらいです。1989年天安門事件後、G7が団結し対中批判を行い、対中武器輸出の禁止や世界銀行による対中融資を止め、日本も対中ODAを一時凍結しました。これらの措置で中国が本当に困り、十分反省したとみて、最初に態度を軟化させたのは日本でした。この動きに欧米諸国も追随せざるを得ませんでした。

日米同盟を締結しているから、アメリカと常に同調する、という安易な考え方では、今日の不確実性が高い世界で生きていくことはますます難しいです。もっと活発な議論があって然るべきです。「戦争は政治の延長にある」という「戦略論」の名文を引用するまでもなく、この結論がでないと、本来防衛力はどれだけが適正かが定めにくいのです。

「専守防衛」の実質放棄
現代日本の防衛を語る上で、従来「専守防衛」、「非核三原則」、「武器輸出三原則」が基本キーワードです。まず「専守防衛」から見てみましょう。冷戦期には、ソ連が北海道から侵略し、自衛隊が1、2週間程度攻防している間に、米軍が援軍を派兵し、ソ連軍を撃退することを想定していました。そのため、「専守防衛」という名の下に、防衛費は可能な限り低く、敵攻撃能力は日本の領土を超えた長距離では持たないという謎の方針が掲げられました。そんな想定で日本防衛は大丈夫なのか?というそもそもの質問には、「アメリカが何とかするだろう」が本音の回答でした。

そうした時代遅れな思考から冷戦後すぐに脱却すればよかったのですが、冷戦後どのような世界になるのか不明であったからか、アメリカの国力、覇権は盤石であるという考えからか、そのままに放置していました。今回の文書でそのようなモヤモヤからの脱却のキーワードが、ミサイル防衛に続く「反撃能力」です。すなわち、ミサイル防衛で第一撃から国土を守りつつ、第二撃以降を防ぐため、敵のミサイル基地や爆撃機を攻撃するという想定です。

しかし、別の視点から見ればこの反撃能力は、「専守防衛」の実質放棄を意味します。なぜなら敵国土、領海、領空への攻撃が、能力的には「いつでも」可能となるからです。加えて、サイバー攻撃が目に見えない形での「戦争」が前哨戦として展開されるようになりますので、それに対する「反撃」と称して攻撃が開始することもあり得ます。厄介なのは、サイバー攻撃者が個人なのかどこの国家組織なのか、判別に時間がかかるということです。すぐに正直に犯行声明が出るか、サイバー攻撃直後に実弾攻撃があれば悩まなくて済みますが、様々なデマが蔓延することは想像に難くないと思います。

そして、「専守防衛」堅持といいながら、実際やっていることはその放棄であるという空々しさ、嘘くささが、一番罪作りのように思います。いい加減アメリカ占領期の虚構から脱却してもいい時期ではないでしょうか。憲法9条(第一項)「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」*を堅持し、自衛権の範囲で適度な防衛力を持つ(陸海空の戦力を持たないとする第二項は削除)ことを目指す、で良いと思います。自衛隊は「戦力」ではないのか、「反撃能力」を小出しに定義するたびに範囲は何か・合憲かといった不毛な神学論争は終わりにして、現実解として適度な防衛力とは何かを議論した方がいいと思います。

防衛コストと核保有
今回防衛三文書が発表される前後で防衛費増大の財源について、議論が繰り広げられました。しかし財源の話をする前に、防衛コストの話をするなら本来避けて通れない議論があります。それは核保有です。どうしても防衛費を低く抑えたいということであれば、核保有は有効な一つの選択肢です。なぜなら、核保有で抑止力は飛躍的に向上するからです。ゆえに、核兵器は「弱者の兵器」といわれ、少し前まで弱小であった中国や今も弱小な北朝鮮が核兵器開発に余念がありませんでした。

確かにノーモア・ヒロシマ、ナガサキ感情はわからないこともないですが、現実には日本は保有せずともアメリカの「核の傘」に入っています。また、日本に再び核兵器が投下されないためには、自国で核武装し、核抑止力を用いるという考え方の方が、現実的なのです。しかし、核拡散を防止する観点と、過去日本の対米依存度を必要以上に下げたくない思惑から、アメリカは日本が核武装することを望まず、日本は正面からの議論を避けてきました。

しかし、自力でがんばる意欲を持つのであれば、そして財源で悩まねばならないのであれば、議論もなく切り捨てるべき選択肢ではありません。しかも、広島県選出の首相だからこそ議論を始めてもいいように思います。幸運なことに国政選挙はしばらくありませんし。

なお少々脱線しますが、アメリカの日本専門家は日本の核武装に関して、意見は分かれます。フランスがドイツに対して思うところと同じと思います。すなわち、ドイツにロシアに対抗できる程に強くあってほしいが、隣国としてリヒテンシュタイン公国なみに弱くあってほしい、といいます。すなわち強い日本は何をする気か不安になるが、その一方で中国の強大化に対する強力な同盟国であってほしい、といったところでしょうか。

はっきり言いましょう。弱くなってきているアメリカには、強い同盟国が必要です。常にアメリカと歩調を合わせるとは限らないドイツやフランスで既に辟易しているかもしれませんが、強い同盟国であればこそ、団結すれば大きな力になりますし、大きな影響力となりえます。いい加減、そんな次元で悩むことはやめましょう。このように説得するだけの度胸を日本政府や専門家は持ったらいかがでしょう。

武器輸出と軍需産業・軍事技術力の強化
以前フランクリン・ルーズベルト大統領の統治下でアメリカの軍産複合体が育ったお話を書きました。ここまでくると常に自国と友好国の莫大な防衛予算を求めるようになり、問題です。一方、日本の事情は真逆で、基本的に防衛予算は莫大というわけではなく、大きな武器輸出規制があり、安倍政権の頃から少しずつ緩み始めているものの、軍需産業一つで大企業が事業を継続できるほどではありません。戦闘機購入等でアメリカが美味しい部分を持
って行ってしまうこともあり、企業側が致し方なくお付き合いしている感覚が否めません。

今回の防衛三文書では、防衛産業基盤強化や技術力向上を訴えています。意図は分かるのですが、三文書を読んで心が動く経営者はあまりいないように思います。防衛装備移転の推進を援助するようなことを言っていますが、例えばODA(政府開発援助)予算をある程度確保し、輸出規制の緩和程度を明確化し、援助先の現地企業と日本企業の合弁会社、あるいは日本政府自体の直接投資を行う等もっともっと踏み込んで考えないと難しいように思います。

ですがその一方で、アメリカのように軍需産業が政府に邪まな横車を押さないよう、あらかじめ規制を考えることも必要でしょう。それが難しいなら、いっそ軍需産業強化をあきらめた方がいいかもしれません。

国家全体として情報の活用
「国家安全保障戦略」では、政策部門と情報部門との連携強化を謳い、「政府が保有するあらゆる情報手段を活用した総合的な分析(オール・ソース・アナリシス)により、政策部門への高付加価値の分析結果の提供を行えるよう、情報分析能力を強化する。」とあります。そしてその下位にある「国家防衛戦略」でも、「統合的な情報分析能力を抜本的に強化していく」とあります。どのように「抜本的に強化」するつもりなのかは記載がなく、ここではアクションプランをききたいところではあるとだけ述べておきましょう。

それとは別に不安な点は2つあります。1つは、情報は分析すればいいというものではなく、政策に落とし込んでこそ価値があります。そして、各省庁はそれぞれ担当領域において情報パズルのピースをいくつか持っている状態なので、どこかで突合し、次の一手を考えなければなりません。その担い手はどこなのか、不明です。「国家安全保障戦略」では、「戦略的コミュニケーションを関係省庁の連携を図った形で積極的に実施する」という一文の記載があるのみで、どこが旗振り役なのか等詳細がありません。

アメリカの場合も過去同じように大統領へバラバラな報告が上がってきたため、各省庁からの情報をまとめて分析するCIA(中央情報局)が設立され、CIA長官が大統領に報告するようになりました。「国家防衛戦略」にある情報本部が同等の役割を果たすかと思えば、そのような記載がありません。どの部署が行ってもいいのですが、基本的に各省庁は情報という「手柄」は誰にも渡さず首相に直接伝えたいと思うのが、人情です。どこかで集約、突
合する部門を作らないと、首相も混乱するように思います。

最後に、防諜に関する記述がないことも不安材料です。以前外国人の友人が、義憤に駆られて話してくれたことがあります。日本の防衛戦略について研究している友人は、防衛省の官僚に何度も話をききに行ったそうです。その際に、携帯電話を預けることなく、面会した官僚は自室に案内したそうです。加えて何度か通ったため、防衛省の守衛も顔を覚えてノーチェックで入れてくれたそうです。また、私も沖縄県庁に勤務中防衛大臣室と外務大臣室に入ったことがありますが、その場合にも携帯電話を事前に預けることを求められず、入室しました。

対して、アメリカの国防総省では、玄関ロビーで必ず携帯電話は預けないといけませんし、そこで面会相手が迎えに来るまで中に入れません。そして、面会場所は自室ではなく、必ず会議室、あるいはカフェテリアです。自室にはどんな書類があるか分かりませんし、隙を見て写真を撮られたら大変です。また、トイレ等に行く際にも必ず職員のエスコートが必要です。日本の有名自動車会社の技術研究所でさえ、社員の携帯電話にカメラ機能は壊さないといけないと言いますし、来客は入り口で携帯電話を預かる仕組みになっています。

基本のキができていないので、全般見直した方がいいと思います。(恥ずかしくて書けないのかもしれませんが。。。)

*「日本国憲法」e-GOV https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION


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