当たり前と感謝
東京での「宇宙フェス」を無事終えて、久しぶりの投稿です。
スピリチュアルの仕事をしていると、時に線引きが難しいことがあって。
例えば、仕事をしていなかった頃は、普通に友達からの相談にも乗っていたのですが
今は、セッションとかコーチングについても学んできている分、ちょっとした質問でも有料レベルになることが、ままあるんですよね。
これは、私も逆の立場になることがあるので、自戒の念も込めて書いています。
「この内容は有料なんだけどな…」と思いながら言えないのは、自分の責任なので、まだいいとして
普段は無意識なのに、無料でするのが当たり前のようにこられると、ある時、堰を切ったように「無理!」ってなりますね。
友達が経営する飲食店に行って「友達なんだから毎回タダで食わせろ」とは言わないですよね。
サラリーマンの友達に向かって「お前の会社の商品、タダでくれよ。友達だろ?」なんてことも普通は言わない。
(言う人は論外)
その線引きが、スピリチュアルの仕事になると途端に難しくなるのは、なぜなんでしょうね。
占いデビューしたての人に「じゃあ、ちょっと占ってよ」とか、軽々しく言っていませんか?
本当の友達であれば、占ってほしいんだったら逆にお金を払うことで応援するんじゃないでしょうか。私も応援したい相手ならそうします。
してもらうことが当たり前になると、感度は激落ち、傲慢にすらなります。
感謝からは程遠い。
結果、波動も下がります。
私は滅多に怒らないのですが、息子があまりにも感謝がなさ過ぎた時には、ブチ切れました(笑)
そうなるまで、息子本人は、まったく気づいていなかったので、荒療治とはいえ、結果オーライだったと思っています。
感謝してほしくてやっているわけではない。
でも、やって当然となってくると、少しでも喜んでくれる人に時間を使いたいと思いますよね。だって人間だもの。
逆に全身から溢れんばかりの感謝を伝えてくれる人に出会うと、「もう何でも言って!」という気持ちになっちゃう(笑)
そういう人は、金銭的な対価以上に、喜びとか幸せのお裾分けという心の対価を届けてくれているような気がします。
そんなことを考えつつ、私も後者になれるよう感度を上げていこうと思った勤労感謝の日です。