見出し画像

【小説】- Interviews 2024 - (after C)

始まる)

2024-9    

待ち合わせの場所は、彼の住んでいる団地の貯水槽の上だった。

彼は午前中、いつもそこで勉強を進めているらしい。
時間が勿体ないので端末を動かしながらでも良ければ、と取材の依頼に応じてくれた。

彼は私の知人(友人ではなくあくまでも知人)の子で、私は彼がまだ小さかったころに何度か面識があった。
それだけなら同じ条件の子供はいくらでもいるのだが、今の彼にはその当時の雰囲気が全く失われていた。
当時の“普通”な子供だった彼とのギャップがあまりにも大きかったことが、一度話を聞いてみたいと思わせる一番大きな要因だったように思う。

彼は今では、ほんの少しだけ名前が知れている存在になっていた。(と言っても研究結果が認められたとか、メディアに取り上げられているとかそういうことではない。)

また、彼の父親と同じように彼自身とても客観的に身の回りの世界も捉えることができるタイプだったことも、取材のしやすい相手だ、と思った。
彼の父親は、要するに少し変わった人物だった。


今ではほとんど車の走っていない幹線道路から横道に逸れ、住宅の並ぶエリアに向かう。(ただしほとんどの家は空き家なので、それらは視界を遮る障害物としての機能しかない)
ナビがなければ確実に迷うような道の先に、その古めかしい団地はあった。

実はここ2、3年、若者が好んでこういった建物に移り住むケースが増えているらしい。地方の田舎町で幼少期を過ごした私としては見慣れたような建物を見上げて懐かしい気持ちになった。とても微笑ましい流行だな、と思ったが、厳密にはそうではないそうだ。

今日取材をする彼自身はまだ一人暮らしではないそうだが、そのあたりも雑談の中で触れてみようと思う。

話を引き出すために相手のガードを下げさせる、或いは気分をあげさせる手段はいくつも知っているし、それこそがインタビュアとして最も大事だ、と今でも心から思っている。
こういった考えにあまり共感してくれる同業者は少なくなったが・・・。

逆に言えばそういう“今では珍しいタイプ”の相手だからこそ、彼も取材に応じてくれたのかもしれないと思う。S期生まれの価値観もまだまだ捨てたものではないだろう。

エントランスには、年代モノ、というほどではないが決して新しくも見えない大きな扉があり、そのガラスは微かに陽の光を曲げて、黄色く床を照らしていた。
真新しい銅繊維入りの除菌マットと、その下のオレンジのタイルが目に入った。

眼鏡のレンズに表示される時刻を確認する。
少しだけ早いか、と思いながら空を見ると、ちょうど尾の長い鳥が二羽飛んでいくところだった。

それを何気なく目で追っていると、そのうちの一羽が突然電池が切れたように羽ばたくのをやめて、向こうの空へすぅっと落ちていき、見えなくなった。

特に珍しい光景ではない。
そうか、”今度の”は鳥も感染の対象だったな、と今朝のニュースが伝えていたことを思い出した。

4年という時間は、意識の中に抗体を作るのに十分だな、と、オレンジ色のタイル床に敷かれた除菌マットを見ながら考えていた。


眼鏡の充電が96%と表示されている。これなら録音・録画をしてもなくなりはしないだろう。

自分は転げ落ちないで辿り着けるかな、と思うと少しおかしな気持ちになった。

消火栓横の壁に貼り付けられた案内板で階段へのルートを確認し、私は奥に進んだ。

いいなと思ったら応援しよう!