摩天楼の中の甲斐バンド・・・憧れの街ニューヨーク・・・2
私の中に、鮮明にNew Yorkが入り込んできたのは、1982年の春頃のこと。
「HERO」「安奈」などのヒット曲を持つロックバンド・甲斐バンドに、日々の全エネルギーを注ぎ込んでドハマリしていた。
私の24時間は、甲斐バンドを中心に回っていた。
彼らはLPレコード制作にあたり、Bon Jovi、The Rolling Stones、David Bowieなど、数々の有名アーティストを手掛けていた、世界のトップエンジニアである、Bob Clearmountain(ボブ クリアマウンテン)によるミックスダウンを行うため、New Yorkに飛んだ。
当時は情報網がほとんどなく、しかも、甲斐バンドには公式ファンクラブがなかったため、入ってくる情報は数少ない雑誌とレギュラーのラジオ番組からのみ。
さらに、田んぼに囲まれた超ド田舎の高校生のところには、『明星』や『平凡』といったアイドル雑誌の後方ページに、ついでのように掲載されていた記事でしか、情報は届かなかった。
New York 3部作の第1弾アルバム、甲斐バンドの9枚目のアルバム「虜ーTORIKO―」の制作の様子を雑誌記事で見た瞬間、なぜか懐かしさを含んだ切ない想いが込み上げてきた。
なぜそんな気持ちになったのか、この感情はどこからきたものか、今でもわからない。ただ心臓がギューッとなった感覚は、40年以上経った今でもはっきりと覚えている。
摩天楼の中でルーフトップに立つバンドメンバーの背後に、New York・Manhattanにニョキニョキと林立する高層ビルが写っていた。
田舎暮らしだった私は、元々高層ビルやネオン、都会の雑踏に憧れていた。歩いている人をめったに見かけない田園風景、2階建て以上の民家がない集落、天然プラネタリュウムの星空、夏には田んぼの中からカエルの大合唱が聞こえてきて、時には座敷に上がり込み、ピョンピョン跳ねていることもあった。
そんな田舎を抜け出して、大人になったら大都会に住んでみたいと憧れていた。そこに飛び込んできたNew York・Manhattanの摩天楼の写真に衝撃を受けた。
〝行ってみたい〟〝住んでみたい〟
カエルやザリガニ取り放題の環境の中で、計り知れないほど遠い遠いNew York・Manhattanの摩天楼を想った。
その後、甲斐バンドは『虜 -TORIKO-』に続き『GOLD/黄金』『ラヴ・マイナス・ゼロ』とニューヨーク3部作を発表した。
そのサウンドは私にまだ見ぬ憧れのNew Yorkを感じさせてくれた。