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活字本の祈り
先のことなんて知らないほうが楽しいんだ。
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荻島には欠けているものがあるらしい。でも、島の外から来た者がそれを持ってきてくれる。
100年以上欠けているのだったら、なくてもいいじゃないかと思う。だけれど、あったほうがいいものなのかもしれない。
まったく予想もつかず、ハードルだけがどんどんと高くなっていき、しかし最後には「なるほど」とうなずいてしまう。
島で起こったすべての謎も、最後にはそういうことなのかとうなずいてしまう。
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日本から出張に来るひとと小説の話になり、本を貸してもらえることになった。たなの写真を見せてもらい、そのなかの何冊かをお願いする。
とにかく最初に読みたかった1冊は伊坂幸太郎の「オーデュボンの祈り」だった。たしか高校生か大学生のころに一度読んだのだが、もう細かい部分を忘れてしまっていた。ただ、小説最後の、読んでいるこっちがやさしく笑ってしまうようなシーンだけがなんとなく頭に残っていた。
伊坂幸太郎の小説に出てくる登場人物は、読んだ最初は「こんなひと、いるのか」と考えてしまい、読み進めると「まあ、いるか」とあきらめるように認めて、読み終わるころには「現実でも出会えるといいな」と祈りのような心地になる。
「オーデュボンの祈り」に出てくるほとんどの登場人物たちだって、同じように僕の気持ちの道筋をたどる。ひとでもない、カカシである優午にも同じような思いをいだく。
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ベトナムに住んでいて欠けているものはなにかと問われれば、日本の小説と答えたい。
僕をどうか、現実じゃない場所にかくまってほしい。映画やアニメもいいけれど、文章だけで編まれた別世界が昔から好きだ。
2月に日本へ一時帰国をするから、日本の小説をたくさん持ってこようと予定している。
苦しい現実でも息ができますように。僕は、この先、祈るようにページをめくるのだろう。