愛は柔軟性にある
オムライスにはケチャップ。目玉焼きには味の素としょうゆ。友達には素直なことば。
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ケチャラーの足跡というものを初めて見つけた。土曜日の朝、電車の線路沿いに建つ住宅街のなかだ。
道路の端に落ちていたのは、片手サイズの小さなケチャップだった。キャップシュリンクははずされていて、中身も少し減っている使いかけだ。それが外に落ちているということは、ケチャップを使用する用途で持ち歩いている人間がこの住宅街の住人のなかにいたのだろう。
マヨラーという名称を思い出した。ひと昔前に聞いた、なんにでもマヨネーズをかけるひとびとの呼び名だった。そんなひとたちの尖った愛好精神を気に入ったメディアは、たしか次に「ケチャラー」を見つけ出したのだ。なんにでも、ケチャップをかけて食べるひとびと。
こんなところにいたのか、となんだかうれしくなった。
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マヨネーズメーカーで有名なキューピーのお偉いさんは、マヨラーを危険視しているらしい。すべてにマヨネーズを愛用するのではなく、健康バランスも考えて食事をしてほしいと願っているとのこと。
マヨネーズを多量に摂取するのは、正直、だれが見たって不健康だとわかる。それでも、売上に貢献してくれるひとびとに売上を落としかねない正論で説諭できる姿勢は尊敬できる。
僕も愛しているマヨネーズメーカーは偉大だ。あとはあのマスコットキャラクターに服を着せてあげると僕はよりうれしい。
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すべてを同じ味にしてしまうことはつまらなくないのだろうか。君はこういう味だから、薬味とポン酢で。塩だけで。いやいや、なにもつけずに。
楽しむコツというのは、自分のステージに無理やりに持ってくることでなく、彼らのステージに乗りながら近づいてみようとするところにある気がする。
営業でいろいろなひとといやおうなく出会うが、人間相手にこの駆け引きは非常に面倒くさい。頭ごなしに向こうの手を強く引っ張ってこっちに連れてこれればどれほど楽だろうか。ただ、面倒な駆け引きではあるけれど、時を経てふとふり返ると悪くなかったなと総じて評価できる。いい経験だったと強がることなく言えたりもする。
もうひとつ大切にしたいのは、自然と自分の感覚にしっかり合う食べものや人間を少数でも見つけておくこと。安心できる場所があれば、心が疲弊したときに寄れるのだ。
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お昼すぎ、同じ場所を通るとケチャップは落ちたままだった。
ケチャラーは焦り、常用品の捜索をあきらめたのかもしれない。ため息をついて、予備のケチャップの封を切っただろうか。あるいは、スーパーに買い出しに行く腹づもりをしているだろうか。
ケチャラーよ、目玉焼きを目の前にしたのなら、長い人生の一回きりの気まぐれでいいから、味の素としょうゆをかけてみてほしい。すんごいおいしいから。
おたがい健康なまま、どうかまた会えますように。