透明なページ
ずっと続くのだろう。
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ゴールデンウィーク中に辻村深月著の『かがみの孤城』を読んだ。
とても苦しいシーンがあったり、温かい希望のシーンがあったりと僕の心は寒暖差で乱れながらも嗚咽をもらして何度も泣いてしまった。人生のなかで信用できることを見つけるのは難しいけれど、だからといって見つけられないと断言だってできやしないと信じられた。
本をくりながら、左手に触れるこの先のページの厚みが薄くなっていく。僕は、終わらないでくれと願っていた。
ページは終わっても、しかし物語は長い余韻を残していた。いや、余韻というのは語弊がある。登場人物たちの人生をたっぷりと残したまま、本のページはつきていた。
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けっこう前に、伊坂幸太郎著の『死神の浮力』を読んでいた。この作品の終わり方も秀逸で、死神からしたらなんでもないひとりの人生が、それでも悪くなく続くのだろうと信じられた。そして、最後の行では、なにも起きないかもしれないけれどもしかしたら明るいなにかの可能性も捨てきれないと思わせながら、ページはつきていった。
あの心持ちと『かがみの孤城』の読後の心持ちは似ているなと気がついた。
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余韻を持った終わり方は、僕の想像力の先端がすーと伸び続けるような感覚があって好きだ。好きだけれど、その想像力の先端が、文字で輪郭をえがかれた物語をもう撫でられないという現実がよりいっそう残酷な色を帯びて、苦しくもなってしまう。
死ねなかった僕の想像力は、しばらくのあいだ、救いを求めて無色透明なページをめくり続ける。