防御力5万円
不幸の総量があるのか。
◆ ◆ ◆
少し前にnoteに投稿した記事で、見知らぬベトナム人のおっさんにお金を貸したという話をつづった。翌日の夜8時、この路上のこの屋台に来いと告げて、翌日、僕は約束の時間に指定の場所にいた。
雨のなか、カッパを着た僕は路上屋台でベトナムの麺をすすりながら、正面の道をながめていた。あのおっさんが、雨に濡れたはにかんだ笑顔を浮かべながら、僕に向かって歩いてくるのではないか。そんな期待をずっとしていた。
麺が入った器には、小さな小さな芋虫が浮いていることに気がつく。僕は、スプーンで丁寧に芋虫をすくって捨てて、またすすり始める。おっさんは、来ないかもしれない。
10分待っても、結局あのおっさんの顔は見れなかった。日本円にして700円を無駄にした。
◆ ◆ ◆
先週の月曜日、急にベトナム現地日本人社長から「今週末、どっか遊びに行こうよ」と誘われた。小学校時代、幼馴染のみちくんによく「今日、いっしょにスマブラやろうぜ」と誘われたあの空気を思い出した。
暇だったので、ふたつ返事で答えると、そのまま「この現地サイト、安いツアーが多いんだよね」といっしょのテーブルに座りながら、スマホの画面を見せてくる。みちくんが「このキャラ好きなんだ」と言いながらMr.ゲームアンドウォッチを選択していた記憶がよみがえる。でも、さすがのみちくんだって、親会社のお偉いさんをまじえた会議が始まる5分前にスマブラはできなかったはずだ。
無邪気さは歳をとらないのだろうか。
◆ ◆ ◆
土曜日の朝7時15分、僕はホーチミン廟入り口前にいた。7時半にオープンするのだが、すでにベトナム人家族がちらほら集まり始めている。気合を入れて、民族衣装のアオザイを着ているおばさまもいる。
現地社長とツアーサイトをしばらく見ていたが、めぼしいものは見つからず、結局ハノイ市内をぶらつくことにした。その1歩目として、ホーチミン廟が選ばれた。
社長も少し遅れて到着して、7時半を待つ。家族はどんどん増えていく。
7時半を10分ぐらい過ぎたとき、待っていた家族たちが、ずらずらと動き始めた。門が開いたのだろうか。しかし、目の前にある門は閉ざされたままだ。入り口がちがったのか。
気になりながらみなについていると、外国人であるこっちに気をきかして英語で話しかけてくれたベトナム人がいた。
「今日は開かないらしい」
え、なんでと僕は反射で訊ねる。「わからない」とベトナム人も苦笑いしていた。
やさしい。この状況で笑える彼は、このさき、とても幸せなことが起きてほしい。
結局、ホーチミン廟の前の大通りや昔のホーチミン宅・仕事場などはまわることができた。
◆ ◆ ◆
ホーチミン廟をあとにして、社長とカフェに入り、仕事にたいしてとてもアツいことばをもらった。このひとの下で働けるのは、幸運かもしれないと思えた。
そのなかで、社長はこんなことばを言った。
「腹を立てるのは、未熟なためだ」
なるほどとうなずいた。無邪気が白髪をはやしただけだと考えていた自分が申し訳ない。
カフェで2時間ぐらい話して、次にハノイで有名なホアンキエム湖という湖を訪れる。まわりは、観光客向けにいろんな物売りがいた。
くもってむしむししたお昼前の気温が、湖の上を吹く風で少しさがる。心地がいいなと歩んでいると、社長があれっと声をあげた。
しょっていたリュックのポケットをあける。
「財布がない。すられた」
一瞬、リュックが引っ張られた感触があったらしい。そこのポケットのファスナーはたしかに全開になっていた。どこのポケットを探しても財布はない。
落ち着くためにベンチに座る。社長は、財布に入っていた現金とカード類を思い出している。現金は日本円でおおよそ5万円程度。カードはクレジットカード数種類。
湖の風が、僕たちの肝を冷やしている。
近くにいた物売りが、急に話しかけてきた。なにを言っているかわからないが、少し遠いところを指さしている。
財布が落ちていた。社長が駆け寄るが、すでに現金は抜き取られていて、カード類だけがおさまっていた。
「現金で満足して、そのほかのいっさいはもどしてくれたのかな」
社長とふたたび歩き始める。「気をつけないといけないな」としきりにつぶやいていて、僕は神妙に相づちを打っていた。
「くそ、腹立つな」
不謹慎だが、少しだけ、にやけそうになってしまった。
◆ ◆ ◆
僕は昔からトラブルをよく起こすタイプだった。もしかすると、このスリだって、本当は僕に起こるはずったのかもしれない。
ふと、おっさんから返ってこなかった700円を思い出す。
不幸の総量は決まっているのではないかと、このとき、考えていた。しかし、実際に社長がうしなったのは5万円。
残りの49,300円のありかを過去に求めるが、麺の器に入っていた芋虫を勘定してもつじつまが合わない。ということは。
僕の背筋は冷えるばかりである。
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