走る馬のともしび
社会的な死が目の前にあった。
◆ ◆ ◆
記憶がだしぬけによみがえった。
1月5日。正月休み明けの最初の出勤日、僕は上司とともに、年始の挨拶まわりをしていた。ちょうどお昼休みどきにとどまったのが錦糸町駅だった。
上司が言う。
「そういえば、錦糸町駅の前に場外馬券場があるんだよね」
上司は熱心な競馬好きである。昔の有名な馬やレース結果を記憶しており、ほぼ毎週末、競馬の予想をして馬券を買っているようだ。月曜日の朝のオーラで、上司の週末の馬券が当たったのかはずれたのかがわかるぐらいに、僕も大人になった。
大人というのは、会社の人間関係をなるべく円滑に進めるすべを持ち、そしてまじめに仕事にとり組む者をいう。デスクワーク中にとなりの席の上司に競馬の話をふられても、大人の僕は3回に2回はちゃんと相づちを打ってあげる。残りの1回は無視をする。
「お昼で時間も空くし、場外馬券場に行ってみる?」
「ああ、いいですね」
大人というのは、仕事中だとしてもときには自分の好奇心にしっかり流される者をいう。
◆ ◆ ◆
平日の昼間だというのに、馬券場にはけっこうなひとがいた。みなみな、老齢のおじさんたちで、特撮ヒーローを鑑賞する子どものような熱を持ってテレビの前でかたまっている。いつのまにか始まっていたレースで、馬がゴールをした。おじさんの群れのなかでひとりのおじさんが「あぁー」という情けない声を出す。どうやら、そのひとのヒーローはあらわれなかったらしい。
レースの合間、全員が競馬新聞を読み込んでいる。漫画を読む子どものような熱心さで、しかし、テレビを前にしているときと同じでどこかその視線に「うつろ」を感じる。この場所は、希望と絶望に満ちていた。しかしそのどちらも乾いている。もしここに入りびたってしまったら、人生のうるおいは除かれ、どんどんからからに乾燥していくのだろうと思った。
競馬に無関心な僕だが、上司とお金を出し合い、記念に一枚の馬券を買った。数分後、その馬券は、初めての場外馬券場に来た記念以外の価値をうしなった。
◆ ◆ ◆
回想はそこで途切れ、目の前に現実が広がる。
まさか、その薄い記念が、お客様を目の前にした名刺入れから出てきてしまうとは思いもしなかった。初めて会う、若い女性がお客様だった。こんなものが名刺入れから出てきてしまったら、非常に嫌悪されてしまうことだろう。
幸運にもお客様は自身の名刺入れに視線を落としていて、僕のブラックボックスと化したモンスター名刺入れには気がついていない。急いで馬券をしまおうとするのだが、あせってしまい、指先でいたずらに馬券がまわり、9番と13番という馬の番号がやんちゃなダンスを決める。このままでは社会的に死んでしまう。あるいは出禁の会社がひとつできあがってしまう。
なんとかこちらに気づかれる前にバッグにしまい込むことに成功し、目的の名刺を抜き取り、お客様へとわたした。
どんな逆境にも屈しない。真の大人とはそういう者をいう。