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自分でも予想外の結果に。(初優勝)

大人になってから始めた趣味で、長らくバドミントンをやっております、体育会系保育士です。
先日、また試合に出場してきました。誰でも参加できる、レベルも高くはない、小さな規模の秋季市民大会ですが。。。

結果は、
なんと、
本人もビックリの、
【優勝】でしたぁ〜〜〜! パチパチパチ

え? ほんまに?
マジで、まさかまさかの結果でした。
春季大会では3位だったけど、それですら出来過ぎの結果だと思っていたので。

優勝まではさすがに想像してなかった。
中高生の陸上部時代以来かなぁ、優勝は。
市民陸上とか地区大会では何度もメダル取ってたけど。



①結果を大きく左右した勝負ポイントは

今回の一番のポイントは、予選ブロックの第1試合。
数ヶ月前の春の大会で私たちが3位だった時に、負けたペア(その時の準優勝)が相手だった。↓↓↓

前回同様フルセットまでもつれ、うち2ゲームがデュース。
ずっと競り合う展開が続くシーソーゲーム。綱渡り的ハラハラ感 & 首の皮一枚的ヒリヒリ感の緊張状態が続く。

最後の3ゲームめでは、16-19の苦しいビハインド状態でもうダメかと諦めかけたけど、そこから心折れずに追い付き、ひっくり返せたのがデカかった。

ここでギリギリ紙一重で勝てたことが、今大会の何よりの収穫。実力的に近い者同士の試合は、最終的にはメンタルが物を言うんだなと感じました。
残りの試合やトーナメント戦は、決勝戦も含めて内容こそイマイチ良くなかったんだけれども、相手のミスにも運にも助けられてストレート勝ちし、初めての優勝を飾りました! ヤッホーーイ

商品にコメもろた(笑)でも玄米なんやね?
白米が良かったねんけど。精米するのケチったな?

試合運びや内容的には、見えた課題もいっぱいあって納得いくものではなかったんだけど。
でもそれは、大会に出場したからこそ分かったことで、練習だけでは見えにくかった課題。なので、やっぱり参加してよかったと思う。

それでも、もっとこうしなきゃ、あれをやっちゃーやられるよね、なんであそこでネットに掛けちゃうかな、みたいな反省点が多く、素直に結果を喜べなかったのはモヤモヤする。会心の出来ならばスッキリしたものの。
もっと普段の練習から一打一打を丁寧に意識していかなきゃ、と改めて思いました。

練習でできていないことは、試合ではできない。
練習の成果すべてを試合で出すことすら難しいのに。



②やればやるほど分かる、奥深さとおもしろさ

球技は、スポーツは、この奥深さがあるからおもしろくてやめられないんだな。一生かけて続けても、理想とする百点満点のプレーなんてできない。
やればやるほど、次々に新たな課題が見つかって、自分の足りなさや至らなさを実感する。

観ているだけなら、簡単そうに見えたとしても。


プロ野球やサッカーの国際試合、オリンピックの中継などでよく
「なんでそこでミスするねん!」
「あの時あそこで決め切れんかったから負けたんや」
とかいう、無責任な傍観者(観客・視聴者)っているでしょ?
あれって、自分はそんな場に立ってやったことないから言えるのよね。

やってるモンほど、分かるんだよな〜。
本番の舞台で普段どおりの力を出し切る難しさが。自分の持っている力以上のものを求めるなんて、もってのほか。

いつもと違う環境や場所で、慣れない相手と対戦するんだから。
球技で言えば、全く同じコースや軌道・パワー・スピード・タイミング・状況の球なんか二度と来ない訳だし。
これは、やった人・続けた人にしか分からないおもしろさだと思う。
スポーツじゃなくても、芸術でも勉強でもなんでもそうだろうけど。

その【深み】が分かって夢中になれることを「趣味」と呼ぶんだろうな。

人生の中で、そういうものをいくつか見つけることが、楽しさであり充実感であると私は思う。趣味は、年老いてもできるだけ長く持ち続けたいものです。



③結果がすべてではない、でも本番に挑むことは大切

やっとこさ訪れた秋。
遅すぎやけどね? お月見の日・中秋の名月までお昼は35度の暑さやったけど? ようやっと涼しくなりました。

秋は、スポーツの秋。運動会シーズン。

いつもこのぐらいの時期になると、考えるのよ。
順位や勝敗などの「結果を求めない」派の考え方について。

義務教育の行事の在り方とか、スポーツそのものの意義や根本を問うものだとも思う。やりたい人だけやればいい、とか、やりたくなければ無理にやらなくていい、とか。
でもさ。
私は頭の古い人間かもしれないけど「避ける・逃げる」では、人は育たないと思うのです。

以前の、私が尊敬する園長の、修了式(卒園式)でのスピーチを紹介。

子どもたちには、「転ばない道」を用意してあげることが大切なのではありません。
親や周りの大人が、子どもの進むべき道の石や障害物を予め取り除き、安全な道を整えて示してあげることが必要なのではありません。
選択肢を多く用意することも、重要ではありません。

教育の意義とは「転んでも、起き上がる術や強さを身に付ける」ことなのです。
何度転んだっていいし、道を間違ってもいい。傷の手当てや励まし・相談が必要ならば、してあげる。親は子どもの一番の味方になって、見守り、応援しましょう。
道を逸れても、回り道しても、また立ち上がって探せばいいんですから。
進みたい道は、子どもが自分で見つけるものです。

たぶんこんなんだった(うろ覚え)

ね? 深いでしょ?

結果がすべてではないし、過程や結果から何を学ぶか、が大事だと。経験しなきゃ分からないことだらけですからね、人生は。
だから私は今でも、運動会には勝敗も順位もあっていいと思う派です。
ビリでもドンケツでもいいのよ別に。それが嫌で恥ずかしかったのなら、次はどうするかを考えればいい。悔しいと思うからこそ努力するもの。

結果といっても、ただその時点での、イチ結果。
「現状の立ち位置確認」みたいなモンです。次回は、来年は、また結果は変わるんだから。それは、やってみなけりゃわからない。
人生は、結果のわからないこと100%でできています。
だから本番の機会を作って、そこに挑む姿勢は大人にこそ必要。老けずに成長したいのならば。

そういう意味でも、今回の優勝だって、ただのイチ結果。
喜ぶだけに終わらず、見えた課題をまた練習していこうと思います。
おしまい。

右側が私。左はダブルスパートナーさん。

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