あえていおう。あらゆるゲームの最高傑作は「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」であると。
2014年6月。任天堂はE3にてゼルダの伝説の次回作をWiiUで鋭意製作中であることを発表した。わずかな時間ではあるが、青い服を着たリンクが馬に乗り、謎の変形するギミックを持った光る矢を用いて、縄文土器の文様に似たデザインのメカを倒すトレーラーから読み取れるのは、昨今のゲームのトレンドに習ってゼルダもオープンワールド的なゲームになるということ、そして、地形にインタラクションすることができ、ひょっとしたらそれがゲームプレイになにか影響を及ぼす可能性があることくらいだった。
ゼルダの伝説は、1986年にディスクシステムのローンチタイトルとして発売された。画面見下ろし型の2DアクションRPG(要素がある、程度に考えたほうがいいだろう)で、スクロールは固定式。各ダンジョンを攻略し、突破に必要なアイテムを取得しつつ、魔王ガノンを倒すためにトライフォースを集め、囚われたゼルダ姫を救い出すのが目的だ。
初代ゼルダの発売以降、基本的にシリーズはこのフォーマットを守ってきた。すなわち、ダンジョンにはパズル要素があり、そのパズルを突破するには決められたアイテムが必要であり、自ずとどのようにゲームを進行すればいいかがわかる。アクションゲームとしての腕も要求されるのだが、基本的にこのゲームの難易度の正体は謎解きだ。それなりのヒントはあるものの、考える力がなければ先に進むことはかなわない。だが、手に入るアイテムの順番がフラグ解除を兼ねており、大体の進行は誰がやっても似たようなものになる。
ところが、「ブレス オブ ザ ワイルド(以下BotW)」は違う。まるで違うのだ。ゲーム開始当初こそ、リンクは眠りから覚めるところから始まり、チュートリアルキャラクターに導かれて攻略に必要なアイテムを取り、「始まりの大地」と呼ばれる場所を抜け出して、いよいよ冒険が始まる。その後、どうすればいいか?それは貴方の自由だ。本当に自由なのだ。どの街へ行ってもいいし、どのダンジョンから攻略してもいいし、どのボスから倒してもいい。なんならいきなりラスボスの城へ乗り込み、速攻で世界に平和をもたらしてもいい。チュートリアルで手に入る、攻略するにあたって必要な4つの特殊能力がありさえすれば、このハイラルでは何をしようともう自由なのである。
かといって、自由すぎてなにをしたらいいかわからないというレベルまでは放置されない。ストーリーの進行をある程度導いてくれるキャラクターが時々現れて、結構な数のプレーヤーは最初にゾーラ族の里へと向かうだろう。もちろん、天の邪鬼なので街道を通る事を拒否してひたすら山登りを繰り返せば、別の種族の街へとたどり着くこともあるだろう。しつこいようだが、このゲームは何もかもが自由なのである。
このゲームの驚異的なところは、オープンワールド化することによって、本来なら強化されるべきフラグ管理を取り払ってしまった事だ。基本的にオープンワールドのゲームは、クエストを受注することによりゲームが進行し、サイドクエストを数多く散りばめることでボリューム感を出している。メインクエストが10時間前後という大作ゲームもザラにある。だが、BotWはそうはしなかった。たしかにメインクエスト(ゲーム内ではチャレンジと表記)とサイドクエスト、そして収集要素で成り立っているのだが、ゲームを構成する骨子は、あくまでいままでのゼルダでいうところのダンジョンにあたる「試練の祠」だ。この祠をクリアすることにより、ハートや頑張りゲージ(スタミナ)を増やせる「克服の証」が手に入り、プレーヤーは任意でそれを振り分けていく。ここでの選択(ビルド)がゲームの進行に重大な影響をもたらすほどの失敗を生むわけではないのだが、ルピーを払って振り分け直すことの出来る施設も存在するので、フィーリングで決めてしまっていいレベルだ。
ストーリーテリングも素晴らしい。というのも、このゲームの特性上「シナリオ」は存在しないと言っていい。だが、メインクエストにあたる神獣の開放と、ゲームのコンプリート要素である「ウツシエの記憶」を進めることによって、断片的ではあるが過去に何が起きたのかを知ることができ、都合よく記憶を失っている設定のリンクとプレーヤーは、同時に「体験のみならず記憶の共有」をすることが出来る仕組みになっている。そして、全てのクエストの順番が自由であるにも関わらず、全てを見届けたプレーヤーには、過去のリンクとゼルダ、そして英傑たちと真の意味で仲間になることが出来るような作りになっている。
ハードウェアの進歩がもたらした、フォトリアリスティックなグラフィックスが織りなすオープンワールドの世界は、基本的な部分は自由が許容されているが、ゲームの進行だけはリニアであることが多い。なぜなら、物語を語る手法が映画のそれを脱していないからだ。ただ、ゲームには自らその状況を体験できるという強みがある。だから、重要な部分はカットシーンを使って説明し、その他のアドレナリンが出るような場面はプレーヤーに委ねて爽快感を得てもらうという手法がずっと取られ続けてきた。だが、BotWはそれらを破壊した。このゲームのコンセプトは「これまでのゼルダのアタリマエをみなおす」であるが、同時にオープンワールドゲームの常識をも覆してしまったのだ。
これは並大抵のことではない。メインシナリオのフラグ管理を実質放棄し、なんなら途中はすべて取っ払って最後のダンジョンにすぐ進んでもいい。だが、リンクを強化するために神獣の解放だけはやっておこうという人に向けても、どの神獣からクリアしようが自由で、なおかつどうやってもゲーム的にもストーリー的にも破綻が起きないようにデザインされている。凡百のゲームメーカーではどう頑張っても辿り着けない場所から、任天堂は全てを見下ろしてみせたのだ。そして彼らは宣言した。これはオープンワールドではなく、「オープンエアー」なのだと。
BotWのハイラルの大地は、他のオープンワールドゲームがそうであるように、時間が経過し、インタラクション要素は多く、それらの要素を使って色々なやり方でクエストをクリアしたり敵を倒したり出来る。そして、BotWというサブタイトルが意味するように、この世界には息吹が感じられる。よく、このゲームを評する際に用いられる「このハイラルは生きている」という表現は間違ってはいないが、本質を捉えてはいない。生きているのは世界だけではなく、リンクとそれを操るプレーヤーなのだ。それら全てが揃ってこそ、任天堂が我々に提示した「オープンエアー」が初めて完成する。
このゲームを語るにあたって、他にも沢山の優れた点がある。例えばハードウェアのハンデを感じさせない美しいトゥーンレンダリングのグラフィックス、そして、物理エンジンにあの悪名高きHavokを使用しておきながら、Havokの開発者をして「どうやったのかわからないほど凄い」と言わしめた任天堂のチューニング技術。サバイバル要素や武器破壊要素があるにも関わらず、プレーヤーにストレスを感じさせにくいゲームシステム。膨大すぎて気が遠くなるほどの収集要素、そして、次の目的地が自然に目に入るようになっている驚異的なレベルデザイン… 全てを語ろうと思ったら、おそらく一冊本が上梓出来てしまうほどの奥深さを持つ。それが、2017年3月3日に任天堂が世に放ったBotWというゲームなのだ。
私は幸運にもファミコンがリリースされた時代に少年時代を過ごした。おかげで、現在存在している殆どのIPの誕生を見守ることが出来た。そして、任天堂の生み出した歴史に残るゲームたちを、思う存分プレイする機会に恵まれた。数々のイノベーションを起こし、ゲーム業界を生み育て、そして変え続けてきた任天堂のゲームたちだが、個人的にオールタイム・ベストを選べと言われたら、私は間違いなくこのBotWを選ぶ。
ゲームに限らず、過去の尊い作品が美化されるのは当たり前のことで、後の世に現れる作品群はそれらの「想い」とも戦わなくてはならないという宿命を持っている。当然、それらを超え、未曾有の大傑作であるとの評価を得るのはどう考えても簡単なことではない。ましてや、それが一度ならず何度もゲーム業界に革命を引き起こしているIPの続編となればなおさらそのハードルは上がっていく。だが、BotWは、その途方も無い高さのハードルを見事に乗り越え、着地も完璧に決めてみせた。その証左が、世界4大ゲーム・オブ・ザ・イヤーの完全制覇であり、歴代のメタスコアで3番目のハイスコアである97点という数字であり、2900万本という、ゼルダの伝説シリーズでも最高の売上本数であるとも言えるであろう。作品的にも商品的にもBotWは成功したのだ。
だがそんな評価など、実のところどうでもいい部分であるとも言える。ゲームの本質は体験だ。他のどのメディアにも真似の出来ないゲームの強みは、自らの手で世界に何かをもたらすことの出来るインタラクティブ性なのだ。そして、ゲーム体験のリニア化が叫ばれて久しい現代のゲームにおいて、誰がやっても唯一無二の体験が出来るという、誰もが思いつきながら誰も成し遂げることの出来ないゲーム体験をもたらすことに、BotWは成功したのである。
最高のゲームは、最高の体験をもたらしてくれる。数十年に渡ってゲームをプレイしてきた私にとって、人生で最高のゲーム体験は、このハイラルに生きることだった。だが、これ以上の体験がこの先にもきっと待っていると信じている。だって、ハイラルは生きているのだし、私もまた生きているのだから。