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#3: 自己紹介~編集後記~
【#2: 自己紹介】のコンセプトを〝やわい〟としたことで、泣く泣く削った〝やわくない〟記事を、編集後記として掲載したいと思います。
【#2: 自己紹介】のリンクを以下に貼ったので、「まだ見たことないよ〜」という方や「こいつはどんな奴なんだ?」と疑問に思われた方、時間を持て余して活字に飢えている方等々、ぜひ足を運んでいただけたら幸いです。
さて今回は、自己紹介にも通じる本の題名のお話を一つ紹介したいと思います。
その本の作者とは、『ファウスト』や『若きウェルテルの悩み』等の著作物を残したドイツの巨星ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテさんです。
『Dichtung und Wahrheit』(ディヒトゥング ウント ヴァールハイト)
これは彼の幼年期から青年期を記した自叙伝の原題です。邦訳としては『詩と真実』とされていますが、飾らない言い方をすると『フィクションと真実』となります。
自叙伝ながら「Dichtung=フィクション」という単語を用いているのが、なんとも感慨深い。
なるほど…。
私自身も【#2: 自己紹介】を書き進めていくと、『フィクションと真実』とした意味がちょっと分かった気がしました。
(以下、考察)
幼少期のアルバム等には〝将来の夢〟が文字として残っているため、誰がどう見ても間違うはずのない〝客観的事実〟です。
では、その〝将来の夢〟を書くに至った幼少期の心境はというと、当時の自分自身…突き詰めればそれを書いている瞬間の自分自身にしか分からない〝主観的事実〟であると言えます。
この〝主観的事実〟は、経過した時間に比例し、思い返す <再現する> ことは、難しくなっていきます。
たとえ、それを書いたのが自分自身であったとしても…です。
なぜなら、旺文社の創業者である赤尾好夫さんの名言にもあるとおり、
「人間は忘れていく動物である。」
という理由からです。
過去の自分を思い返し、寸分違わず当時の心境を再現しようというのはほぼ不可能であって、そのかわりに「○○だったのだろう」という〝推測の領域〟が多かれ少なかれ生じるものであると考えます。この〝推測の領域〟こそが限りなくノンフィクションに近いフィクション(=Dichtung)であると理解しました。
以上が、ゲーテさんが「フィクション(=Dichtung)」とした理由なのでは?と邪推しつつも、冒頭にも述べた理由から、前回の【#2: 自己紹介】には登場させられませんでした。
そのため、今回余すところなく掲載させていただきました。毎度ながら、うまく言語化出来ているか、文脈が変になっていないか気になるところですが、ここいらで【#3: 自己紹介~編集後記~】を終わりにしたいと思います。
今回初めてお付き合いいただいた方、また前回以前からお付き合いいただいている方に最大の感謝を申し上げます。
それでは、また。