繋ぐ線 【短編小説】

街唯一の路線が廃線になって、随分時間がたった。当時小学生だった私は高校生になり、受験に頭を悩ませることになった。
 廃線になったことで、不便になったかと言われればそうでもない。元々田舎と田舎を繋ぐだけの線路だったので、その電車に乗って買い物に行ったりした記憶もない。廃線になった際に開かれた会に参加させられ、長い話を涙交じりに話していたおじさんたちをよくわからないまま観察していたことのような、どうでもいいことばかり覚えている。
 廃線は放置され、周りにはぼうぼうと草花が生えていて、虫がよく飛んでいる。どこかに繋がっていて、でも繋がっていない、もう繋がることのない線路。そう考えると少しだけ淋しかった。
 私の街は村と言っていいほど家屋しかなく、スーパーもない。商店と呼ばれる店が数店舗地区ごとにあるぐらいで、他の場所は大体山か田んぼか畑だ。そんな私の街に通っていた路線は、同じような街と街を繋ぎ、同じような街が終点だった。昔は鉱山だとかで色々入用だった路線も、現代になってしまえば無用の長物だった。そして廃線になり、解体されることもなく今まで放置されている。
 田んぼの丁度真ん中、その場所に踏切があった。廃線になった今でも木でできた電柱が物悲しそうに誰も通らない道を照らしている。私はよくこっそりと家を出て、その悲し気な電柱の下で時間を過ごした。繁華街も無く、非行に走ろうにも走れない場所だったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。もしこれが都会だったなら、私は悪い大人に唆され、よくない道に踏み込んでいたであろうことは想像に難くなかった。
 しかし、田んぼの真ん中に悪い大人はやってこない。いたとしたら、この世のものではない何かに違いない。
 *
いつものように暗い夜道をスマートフォンの明かりを頼りに進んでいく。街灯も少ない街なのは問題だと通るたびに思う。国道を左に曲がり、農道へ入っていくと、田んぼからカエルの声が響き渡る。
ふと、電柱の下になにかあることに気が付いた。恐怖で固まりそうになるが、辛うじて足を動かし、近づいてみる。それは、膝を抱え込んだ人だった。その人は私を見つけるや否や、驚いた表情をすることもなく、にっこりと笑って見せた。それから耳に入っていたイヤホンを抜いて、こちらに話しかけてきた。
「あれ、こんなところに人がいる。大丈夫? 透けてない?」
 顔を上げた人は、若い女性だった。長い髪を後ろにまとめて、缶を持っている。その缶には見覚えがあった。最近若い人の間で流行っている、九パーセントのアルコールが含まれている缶チューハイだ。早く酔えて、おまけに安い。そんな口コミを私も知っていた。
「……飲むなら家で飲んだほうがいいですよ」
「わ、常識的な幽霊だ」
「幽霊じゃないです」
 あはは、と笑った顔はずいぶん幼く見えたが、それでも少なくとも二十歳は超えているのだろう。そうでなければアルコールは禁止されている。
「お嬢ちゃんはどうしたの? 迷子? 家出?」
「お嬢ちゃんはやめてください、もうすぐ十八ですから」
 言ってから、余計に子供っぽい言い回しだったと気が付いた。しかし、目の前の女性は気にすることもなく、ごめんごめんと軽く謝った。
「私はねぇ、家居づらくてさ、チューハイ持って出てきちゃったんだよねぇ」
 言って、ぐびりと缶の中身を呷った。何となく離れ辛くなった私は、隣に腰掛けた。
「……私もそうです。受験で家がピリピリしてて。親が私のことで喧嘩するんです。その声が嫌で」
 気づけば、自分の感情を吐露していた。それこそ、居もしない幽霊に話しかけるみたいに。彼女は笑うことなく、そっかぁ、とだけ相槌を打った。
「何よりも、怖いんです。失敗するのが。一回踏み外したら、もう二度と普通のレールには戻れない気がして」
 そう、どこかに着くことも、どこかから始まることのない廃線の様になることが、恐ろしかった。女性は私の言葉を聞いてどう思っただろう。子供じみた悩みだと笑われてしまうだろうか。ちらり、と横目で女性の方を伺うと、缶のふちをなぞりながら、うんうん唸っていた。
「ごめん、人生の先輩としてなにか言ってあげたいけど、思い浮かばない。普通のレールって思いのほかたどるの難しいし、踏み外したら実際戻るのにかなり時間と努力がいるし。そもそも普通って何? ってところから始まるし」
 私は、思わず彼女の方を見てぽかんと大口を開けることになった。ただの行きずりの人である私の言葉で、そこまで考えてくれたのだと驚嘆したのと同時に、簡単な慰めの言葉で終わらせなかったのは、彼女が初めてだったからだ。
 何よりも、私の悩みを聞くいつもの大人の表情ではなかった。
 いつも大人は、私の悩みを聞くと、同じような顔になった。何もかもわかっているような、不気味な表情。大人びた、といえば聞こえはいいかもしれないが、まだ子供の私には恐ろしく見えた。だけれど、女性はどこか子供の様な表情をして子供の私の隣で子供の様に悩んでくれた。
 なんだかそれが、無性に嬉しかった。そして、とてつもなく離れるのが惜しくなった。だからかもしれない、突拍子もないことを私はいつの間にか口にしていた。
「一緒に住みませんか」
「……はい?」
 私の意味不明な言葉に、今度は女性の方がぽかんとする番だった。
「家に居づらいって言ってましたよね。私今年受験して家を出ます。だから」
「ええ……確かにタイミング的にはぴったりだろうけど……」
 うんうん唸っている女性はやはり子供の様だった。それから、手持ち無沙汰に缶をくるくる回している。
「……君が、無事大学生になって、それでもまだ私と住みたかったら、いいよ」
「本当ですか」
 なんだか昔、こんなシーンを見たことがあった。そう、あれは保育園に通っている男児が先生に告白していた時だ。先生に好意を伝えられた男児は、先生が大人になったらね、と断られていた。それになんだか似ている気がした。
 それでも、口約束の簡単なものでも、約束は約束だ。私にはこれから頑張らなければいけない理由ができた。立ち上がり、早速家に帰って勉強に戻ろうとすると、名残惜しそうにこちらを見つめる瞳と目が合った。
「……約束、ですからね。忘れないでくださいね」
「うん、はいはい」
 ほっとしたような顔になった女性に一瞬どきりとしながら、家の方へ向かう。カエルの声も、おそらく家に帰った後に聞こえてくる喧嘩の声も、もはやなんの妨げにもならなかった。

「合格おめでとう」
 雪が舞う中、私たちはまた踏切の電灯の下にいた。
 あれから何度も女性と会った。その間に、女性の名前はキョウコということ、仕事で上手くいっていないこと、家にはあまり居たくないことを聞くことが出来た。それ以上はあまり語りたがらないが、私には十分すぎるほどの情報だった。
「約束、覚えてますか」
「うん、約束は約束だからね」
 雪が降る様になってから、キョウコはよく遠くの山を見るようになった。その先に、廃線の線路が繋がっている。
「……十年以上前かな、親戚の子を預かって、隣の町まで電車で行ったの」
 キョウコは独り言のように語り始めた。彼女からこういう風に話し出すのは珍しいことだったので、私は黙って続きを促した。
「全然人がいなかったの。電車の中にも、こっちの駅にもあっちの駅にも、全然。でも、二人でいればそれだけで十分なくらい楽しかった。たくさん学校の話をしてくれたり、私の学校の話をしたり。だから、廃線になってすごく寂しかった。その子との思い出まで、無くなっちゃったみたいで」
 遠くを見ていたキョウコの瞳が、私を映した。
「その子は電車の中でこっそり私に耳打ちしたの。大きくなったら一緒に住もうねって。私は大きくなったらねって答えた」
 途端に、私の中に記憶が弾ける。知らない女性と休日を過ごした記憶。初めて電車に乗ったこと、隣町で無駄に何もないところをぶらぶら歩いたこと、沢山話をして、頷いて話を聞いたこと。そして、約束の事。
「その子は忘れちゃってるだろうけど、私には大切な思い出なの」
 悲し気に笑った顔を見て、私は胸がぐにゃりとなった。
 覚えていてくれたのだ。彼女は。すっかり忘れてしまった私と違って。
 私は、震える声を抑えながら、彼女に聞いた。
「約束、守ってくれる?」
「うん、二回もしたんだもん」
 たまらなくなって、私は持っていた傘を放り投げて、キョウコを抱きしめた。コートの上に積もっていた雪が冷たかったけれど、離そうとは思わなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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