95. 「外部」の人
バングラデシュに来て7か月目。ベンガル語能力は一向に上がっていません(笑)というのも、全くベンガル語を勉強しなくなってしまいました。
バングラに来てから最初の3ヶ月くらいまで、ベンガル語を勉強していました。生活面での必要最低限のベンガル語は覚えたものの、オフィスにいるときに飛び交うベンガル語まではわからなくて、周りがベンガル語で楽しく会話しているのを見ると疎外感を抱きました。
「自分がベンガル語をわかるようになれば、私もみんなともっと楽しい時間を過ごせるはず!私もみんなみたいに会話に入りたい」
自分のベンガル語モチベは、素の自分で話、心を許せる人がオフィスにいない寂しさでした。
じゃあ今ベンガル語を勉強しない理由は「素の自分」をオフィスで出せるようになったから?半分正解で、半分不正解な気がします。
確かに、「素の自分」が出せなくて寂しい、と悩まなくなりました。オフィスは私の「ホーム」に感じるし、「自分」を出せるようになりました。
でも、この「自分を出せる」ようになったのは「会話に入り込んで楽しめるようになった」から、ではないです。だってベンガル語わからないし。いまだに周りが楽しく笑っている中、何が面白くて笑っているのか全くわからないことも多いです。
でも、寂しくない。「あ、わからないな」って思うだけになりました。
理由はちょっとわからないけど、「自分はどうあがいても外国人」っていう、その当たり前の事実を受け止められるようになったから、な気がします。どう頑張っても「外部」の人。いつかは日本に帰るし、母国語は違うし、宗教も文化も年齢も、雇用されている先も、違う。私が必死こいて「溶け込もう」としても、相手からしたら私はやっぱり「違う」人。この事実は変わりようがないです。
でも、「外部」の人、「違う」人って、別に悪いことじゃないです。仲間外れっていうわけではない。し、「違う人」という事実をシンプルに受け止めてもらって、「違う人」として接してもらえたら、そのまま受け入れてくれたら、それが一番だなって思います。そして、私も「一緒ではない」ことをそのまんまニュートラルに理解して、その「違う」相手と、「違う」っていう事実とまるっと向き合いたい。
うまいこと言えないけど。