介護系の道に進む前
久しぶりに投稿します。
ボクが、高校時代の苦悩と葛藤や発見したりした経験を自分なりに振り返ろうと思うのだ。
介護の道を志した理由と過程についても。
中学生3年間は運動部(卓球部)だったけど、いじめに遭って人間関係が結構終わってて毎日メンタルが病んでたのだ。
だから、高校生の時は帰宅部上等の如く何にも打ち込まなくて、バイトすらしない冴えない枝豆だったのだ。
その頃には先述のいじめの後遺症が原因で、OCD(強迫性障害)を伴った鬱症状により、メンタルクリニックに通うようになっていたのだ。
何の起承転結もなかった当時の学生人生だったが、それでも僅かな光はあったのだ。
それはPC経由でネットの世界に踏み出し、YouTube→ニコニコ→Twitterの順でアカウント作成して時たま何か投稿した事で、毎日が刺激的に思える瞬間がそんな状態の中でも確かにあったのだ。
リアルの世界については、他校に行ってしまった小中学校時代の友人達と土日に遊ぶぐらいしか交友関係はあまり無かったのだ。
だからやはり、暗黒の厨房時代と違って可もなく不可もなく、と言っても上下の人の繋がりもない、ペラペラな意識低い感じの毎日だったのだ。
勉学の方についても、数学や英語など含めて全科目の難易度に次第に打ちのめされる様になり、偏差値が上がらなくなってしまったのだ。
追い込まれた時分になって、無理やりな挑戦を決めた。
「もう高2の後半で時間もない。Fラン大学行くぐらいなら手に職をつけてさっさと就職した方がマシだ。周囲の大卒組と早めに差をつけて挽回したい。」
そんな思いを抱きながら、介護系の専門学校に進学しようと志したのだ。
この介護職と言う仕事は、身内にも友人にも誰にもツテが無い、新しい未知の世界だった。
この頃のボクはとにかく、「誰にも決められない、自分で引けるレールを真っ直ぐ行かないと自分は何も出来なくなって引き籠もりで人生終わる…。そうなるぐらいなら、ちょっとは人と関わる仕事して奮い立たせ、修行の為に福祉の道に行こう。」
そんな理由で、周囲の反対を押し切って今の進路を決めたのだ。
高3の8月には、すんなりとAO入試で受かり、夏休みの膨大な隙間時間が出来たので、PSPでKey作品のAIRをプレイしたのだ。
Keyのシナリオは音楽も相俟ってかなり切ないお話で、生まれて初めて物語を読んで大号泣したのだ。
観鈴ちん…(泣)
中身のなかったはずの高校三年間、ネットの世界やKey作品との出会いで「こんな世界も捨てたもんじゃないな」と思うことが出来たのだ。
今思えば心に一つでも救いがあって、振り返れば中学校時代よりはまだ幸せだったのだ。
そっからの記憶は殆ど無いのだ。
多分本当に特筆する程の事がなかったから覚えてないからだと思うのだ。
そして、4月から専門学校に無事入学し、資格試験も就職試験もストレートに受かり、今に至るのだ。
そこからの苦悩は大体今のTwitterアカウントで現在まで綴っているのだ。
それでも、よくここまで生きてこれたものだとたまには自分を褒めたい。
最後まで読んでくださってありがとうございましたなのだm(_ _"m)