#32 経営と所有の分離
~時代は資本から知識へ,そして所有からシェアへ~
筆者のサラリーマン時代,営業先だった町場のお酒屋さんは,親父さんが社長,おばあちゃんが会長,息子さんが専務,奥さんが監査役,なんて会社も少なくありませんでした。その当時は株式会社は資本金1000万円,取締役3名で取締役会を設置し,監査役も置かなければいけなかったのです。今では新会社法になって,株式会社を設立するのに資本金は1円でもOKですし,取締役もひとりで任期も10年まで設定できます。そういう会社だと信頼性という点では?が付くかもしれませんが,会社を作りやすくなったことは確かです。
ところで先日,中小企業診断士の集まりがあり(資格更新のために必須の研修),その中で講師が,白書を引用して中小企業の事業承継がうまくいかない理由を説明していました。いろいろ理由はあるのでしょうが,その中で触れられなかった論点「経営者が所有と経営を分離できないこと」と「プロ経営者が流動化していない(特に中小企業)」ことこそが根本的な原因,と筆者は考えています。
そのことを隣に人に座った事業承継が専門という中小企業診断士に話したら,「無理無理,中小企業の経営者なんて所有と経営の分離なんてできないよ,それにサラリーマンが経営者になったってうまくいかないよ」とのことでした。つまり,行政の中小企業施策はこういった前提の上になされているということだと理解し,筆者は「この2つの前提を破壊すること」を目指して活動する決意を新たにしました。
確かに株式会社の場合は,株をどれだけ持ってるか,つまり所有が経営上の発言力と直結していますから,資本政策も重要になるでしょう。しかし本格的な資本政策はM&Aが視野に入ってきたり,IPOを考え始めたりしてからでも遅くなく,中小中堅企業であればその他にやることもあるだろうと個人的には思います。結局,経営者がリーダーシップやマネジメントで組織をまとめようとするというのではなく,所有=お金の力でコントロールしようとする発想が,そのような行動をとらせるのではないでしょうか。
資本主義は大きな変節点を迎えており,所有の対象は生産手段から知識へ,さらには所有ではなくシェア(共産や共有ではなく)するという方向に遷移しているのではないかと筆者は感じています(もっとも,そのすべてを見るまで生きていることは叶わないでしょう)。そしてふと,アッシジの聖フランチェスコの,こんな言葉を思い出しました。「人は与えることで与えられ,許すことで赦され,捧げることで命を得るのだ」