写真と記録をつなぐ旅 ~上湧別町立上富美小学校の息吹~ Ⅴ
ソソドーソミーレド ソーラソ、……
ときにニンゲンというものは、不思議な音を口にすることがある。
それはオンガクというものであり、ウタというものであるという。
しかしここで音楽を流すという技量までには至っていないこの者は、いったい何をもってそれらを伝えようというのだろう。とりあえずは完結編である。うまくまとまればよいのだが。
あえて手書きを載せたのは
手書きではなく、それなりにきちんと印刷された楽譜もあるのだが、ここではあえてこちらを採用する。その理由は、
編曲された楽譜があるんだよ~ん ♪
ということを伝えたかった。それだけである。
昭和44年秋に制定され、昭和61年の春まで歌われたということになるが、
とても地域に愛された校歌だったようだ。
また、記念誌に歌詞の一部を使い、思い出をつづった投稿も。
朝の風 さわやかに 流れも白き 富美川よ
富美川というのは、湧別川の上流で、富美・上富美地区ではそう呼ばれています。
細かく調べていくと別の河川名が出てくることもあるので、ざっくりとこのへんの川、ということにしておきます。学校は小高い丘の上にあったので、河川氾濫時の危険はなさそうです。
心ひらきて なごやかに ともに求めん 真理(まこと)の道を
雲青く 山をゆき
日の色遠く 澄む郷(さと)に
手ぬぐい山の名前は、国土地理院の地図にも載っています。この地区のシンボル的な山(部落史より)その名前の由来は……長くなるのでここでは省略。
地図を見たら、とにかく広い上富美地区。
当時上空からの撮影はヘリコプターを使ったんだろうけど、気になるのは写真がこれ一枚しか見当たらないこと。写真一枚のためにわざわざヘリコプター借りた? 便乗した? ……謎だ。
智恵(ちえ)のはたらく胸ひろげ 広くゆたかに こころざす
智恵があっても資料がなければわからんて
そう思っていたら
上空からのものと一緒に保存されていた写真。
もしかして、これに乗せてもらったんだろうか ??????
ワカラナイ (*_*;
とにかく予算が (*_*)
校歌を制定したころの校長先生が、後日とある雑誌に当時の様子を投稿しています。
こいのぼりに託した想い
「只一度でいいあの校歌を(わが子)に歌わせたい。その一念で書いたつもりでしたが、それも無念のものとなりました」
作詞された方が記念誌に投稿された一文です。
不慮の事故で子をなくされ、そののち、離農。上富美から去る際に、わが子だと思って掲げてくれと、こいのぼりを学校に寄贈されたそうです。また、ポール(掲揚塔)も、中学生のお子さんを事故でなくした上富美の方が寄贈されたそうです。
校庭で翻るこいのぼりは、たぶんどこでも見られる光景かもしれません。
こどもたちがすこやかに育って欲しいという願い。
廃校後もしばらくは掲揚塔があり、節句の時期にはこいのぼりが翻ったというこの学校にも、何かしら託された想いがあったのかもしれません。
今度こそは?
いい感じで終わったではないか。と思っていたら最後に閃いたネタがあるらしい。どうもキレイな終わり方はできない、したくない? 性分ゆえの戯れである。
吾輩は少々眠くなってきたのでここから先は関知しない。
この先出番があるかどうかは、神の味噌汁 ← ((+_+))
この方は?
どこのテレビ局だったんだろう……
謎を残しつつ、ここで完結です。
ここまで付き合っていたたいた方へ、
💛💛 感謝します 💛💛
💛💛 ありがとうございます 💛💛
やったー!
=^_^= 💛💛 できました~ 💛💛 =^_^=
2024年 6月