助手席のあなた
car:copenGR
music:Dream come true 未来予想図II
私と夫の趣味は合わない。
それは、結婚前からの周知の事実。
インドア派で静かな夫とアウトドア派で活発な私。
夫はいつでも意見を求めても、
“君の思う通りでいいと思う”
と尊重してるのか、思考を放棄してるのかよくわからない返答をするのだ。
それは、気が強くて考えたり決断したりするのが苦にならない私にとっては僥倖でありながら、夫の決断の権利を奪っている様で、いつもなんとも言えない気持ちになるのだ。
180センチの細長い体に、優しさを体現した様な丸メガネと意志の弱そうな白い肌。
小さい頃から生命力の塊と呼ばれた私とは真逆の姿で。人間自分と反対の存在を好きになりやすいと聞いたが、多分そんなところに惹かれたのかもしれない。
ふと、知っている曲も知らない曲とない混ぜに流れる、スマホのオーディオアプリから見知ったイントロが流れ始める。
通勤のお供はその日の気分に合わせて選んだプレイリストから流れる音楽。
未来予想図か、ずいぶん古い曲が流れるのね。
と思いながら久々にまともに一曲聴き切ると、出た感想は
あれ?こんな沁みる良い曲だっけ?
という、不思議な感覚で。
ふと、信号が変わり目だと気がついて緩やかにブレーキをかける。田園地帯を切り開いて定規で引いたかの様に真っ直ぐな道路は私の通り慣れた通勤道で、田植えが始まる前の水だけが引かれた田んぼは晴れた日の光を浴びて鏡面の様になり、今私が乗っているピンクの車を写している。
両方のドアはスライドで乗り降りしやすく、ハッチバックトランクには荷物がたくさん積めるワゴン車。色は淡いピンク。それこそ趣味ではないけど、母親の制服の様に、乗っているスペーシア。
嫌いではないけど、必要で乗っている感がするのだけど、この感覚を夫に伝えても、車は移動手段でしかない彼にはこの感覚が伝わらないのだろう。
なんというか、制服のの形も色も絶対学校制服でしか着ないけど、主張のない制服は似合わない訳でもなく、みんなで着ていれば安心だし、みんなとならディズニーランドにだって遊びにだって行ける。
うん、やっぱりこの車は制服なのね
と一人ごちで納得すると、信号が青に変わると同時に私の横をするりと赤いCopenが追い抜いていく。運転席には横顔が綺麗なベリーリョートのマダム白いシャツと赤いリップが対照的で一瞬の姿を鮮烈に焼き付けて、
“きっと何年経っても こうして 変わらぬ思いを 持っていられるのも あなたとだから”
の、歌詞の様に何年か経って私が、あのマダムの年齢になって、母の制服を脱ぎ捨てた時、優柔不断とも取れる優しさに溢れる夫を私はどう思うのだろうか。と疑問を私の心に落としていく。
これは、夫に対する不満云々ではないのだ。父として、夫として、彼は完璧に近い働きをしていて、共働きの妻を支えて二人の子供を、守り育て、そう、パパとママとして不足のない関係を築けているのだが、彼が夫になり15年、彼がパパになって早いもので12年。私も同じだけ妻と母として過ごしているのだけど、そう、彼も私が母親の制服を脱ぎ捨てる時に父親を卒業することに、はた、と気がつきそうか、一緒に親を卒業するのだと、ごく当たり前の事を初めて認識した訳で。
彼は、父から彼に戻る時、どうなるのだろうか?私より想像が難しい彼の姿を思い浮かべてもしっくり来ず、嫌、夫とは言えど、他人。まずは自分がどうなっていたいかだ。
“赤いCopenいいなぁ”
思った以上に、憧憬の滲んだ自分の声に驚きつつ、50歳を超えた私があの赤いコペンに乗り込んでショートカットに赤いルージュを引いて運転しているところを想像しても、ダークブラウンに染めたセミロングの髪をハーフアップにバレッタで止めて、白いシャツの上にノースリーブのジレとUNIQLOのワイドパンツ、ニューバランスの紺色のスニーカーにanelloの黒のリュックという、母親の制服を着て、ママカーに乗っている私に、あんなに堂々と、他人と違うのに、同じ、似ている車がないのに、それでも自分らしさで走るCopenが似合う気がしなくて、やっぱり気の迷いかなと思ったのだけれど、ディーラーの、ショールームの前でうんうんと唸る私に向かって
“昔から乗りたかったんでしょ?いいんじゃない?”
なんて、人の良い返しをして、燃費がとか、2人しか乗れないとか云々悩む私に
“人生で一度くらい、打算でなく好きな車乗りなよ”
なんて、核心を突く発言で、私を説得に近い形で決断させるのが手に取るように思い浮かべられる。
よくよく考えてみれば、いつも私がしていたという決断は、大体彼のなんとも言えないアドバイスな様な、けし掛けるいうよりかは教唆する様な発言に背中を押されて私が決めた気分でいたのかもしれない。
うん、やっぱり子供たちが巣立ったらCopenを買おう。そして、180センチの体を小さく折りたたんで、腹が立つくらい長くて細い足を抱え込ませて助手席に座らせるのだ。
私の50過ぎの姿はまだ想像できないけれど、Copenに詰め込まれる50過ぎの彼の姿はありありと想像できる。
多分そういう事なのだろう。
何年経っても同じ気持ちでいられる。あなたとなら。
父と夫の制服を脱いだ彼を小さな助手席に乗せて、どこへ行こうか。Copenをいつか運転する日を夢見るだけで、彼との未来も予想できる気がして、私と夫の未来はあの赤くて小さなスポーツカーに乗っているのだと思うと、制服を脱いで、元の二人に戻るのが早くくればいい。楽しみだと思わせてくれる